今日のウィルバーくん 2.3
私が初めて読んだケン・ウィルバーの著作は、『グレース&グリット』という本です。トレーヤという名の彼の奥さんは、病気で亡くなっています。自らの死を受け入れていくトレーヤ、そして妻を看病するケンのありのままの姿が記されたものです。率直で、正直で、愛と受容に満ちた本です。
そんなケン・ウィルバーというのはどんな人物なのか。彼の著作を通じて、その一端を紹介できたらと思います。
ある禅の老師が、「悟りを得たあと、個人のスタイルや表現はどうなるのでしょうか」という質問に答えています。
<分離した自己は確かに、やがては溶解する。しかし人はなお、その独自の香りを残す>
素敵な言葉ですね。ワンネス意識を体現した人でも、この世界に存在する限り「独自の香り」を残します。そうでなければ、この二元化した世界に存在できないのでしょう。
しばらくは、人間としてのケン・ウィルバー、そのユーモア、苦悩、情熱、そして精神的な悟りを紹介したいと思います。彼の「独自の香り」を知ることで、私たちは何かを受け取ることができるはずです。まずは、彼が自分をどう見ているのか覗いてみましょう。
〜以下抜粋。
ケン・ウィルバーとは、わたしの「本来の面目」にできたかさぶたであって、今朝、わたしはそれを小さな虫のように振り捨てて、自分の本来の住処である、無限の空間のなかに消してしまった。
けれどこの無限の空間は、イムパルス(衝動力)をもっている。それは顕現の歌を歌い、創造のダンスを踊る。薄い、透明な、蜘蛛の糸よりも軽い「無」から、今、そして今、永遠に今、壮麗な世界が生起する。
それは輝く深淵からのまばたきであり、うなずきである。そこでぼくは本を包みから出して、朝の仕事を続けることにもどる。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ワン・テイスト』より。
自分、つまり「自我」のことを、「本来の面目」にできたかさぶた、と言っています。
言い得て妙です。確かに「自我」なんて、かさぶたのようなものかもしれません。放っておけば自然に落ちるのに、気になって無理に剥がします。するとまた傷ついて、新しいかさぶたができます。私たちが繰り返していることは、そんなことかもしれませんね。
この文章は、きっと朝の瞑想のことだと、勝手に想像しています。こんな静寂を感じてから、朝の仕事を続ける。う〜ん、とても素敵な朝です。でも、なかなかできることではありませんね。ケン・ウィルバーの朝を少し感じることができました。
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。
『STORY OF ZERO BOOK Ⅰ 〜ENCOUNTER〜』は全世界のAmazonで配信中です。日本のAmazonはこちらです。