アイコンに人格はあるか
SNS の利用が広がってきたことで、顔を知らない人との交流が普通になってきた。ネットでは実際に会ったことのある人よりも、顔も声も知らない人との交流のほうが多いように思う。そうなると相手を識別する対象はアイコンになる。ゲームだったらアバターかな。
例えばTwitterのタイムラインをぼんやりと眺めていても、フォローしている人のアイコンは瞬時に区別できる。プロモーションやリツイートされたFF外のアイコンには反応しない。そういう意味ではまさにアイコンは人間の顔と同じで、人格を持っていると考えていいように思う。
ボクのように本当の顔をアイコンにしている人もいれば、ペットの写真やアニメのキャラ、あるいは著名人の写真をアイコンにしている人もいる。本人は中年のオッサンなのに、若い女性の写真をアイコンにして成りすましている人もいるだろうwww
そんな様々な事情を含めて、アイコンはその人のネット上での人格を表現していると思う。だからボクはそんなアイコンに対して、知人と接するような気持ちで交流している。ところが心理学者の研究によると、人間はアイコンのようなものに対して現実感が乏しくなるらしい。
人は写真の中にうつっている写真の人物に対して現実感が乏しくなり、普通ならできる配慮ができなくなる
カナダのブリティッシュ・コロンビア大学の心理学者が発表した研究結果。心理学的にみれば、人は写真に映っている人物に対して現実感が乏しくなり、普通ならできる配慮ができなくなるそう。
例えばボクの写真を収めた写真立てがあるとする。その写真立てと一緒に本物のボクが並んで写真を撮った場合にそれがわかる。その写真を見た人は、写真立ての隣に立つ生身のボクの写真に対しては普通に接する。
だけど写真のなかの写真はリアルな存在として感じられず、その人物に対して真面目に考察したり、注意を向けることが難しくなるそう。この心理学実験で寄付を伴ったテストをすると、写真のなかの写真の人物にはあまり寄付が集まらないという結果が出たそう。
リンク先の記事は実験内容が簡単に紹介されているだけ。だから実験環境がわからないけれど、ボクはこの結果に違和感しかない。だって同じ人間が写真立てに並んでいたら、生身の本人に注意が向くのは当然だと思うから。結果が前提としてあって、無理やり導き出した実験のように感じてしまう。
最初に書いたように、ネット社会になってアイコンやアバターはリアルな存在として活用されていると思う。もちろんネットでは本性を隠している人は多いだろうから、その人の実像ではないだろう。だけど実際に会っている人だって、懇意でなければ真の姿を見せているわけじゃないのは同じ。
写真のような肖像であっても、現代人はリアルにその人の人格を感じていると思う。だから礼儀を持って接しないと、誹謗中傷のようなことが起きる。他人のアイコンに対して想像力を使えない人が、ネット上のトラブルを起こすことになるんだと思う。
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