コロナ禍における「テキヤ」の実態
ボクが京都に住んでいた10代のころ、いまの季節に楽しみにしていた行事があった。ボクが暮らしていた京都市の山科では、8月の22日と23日に『六地蔵巡り』という行事がある。そのとき、京阪電車の四ノ宮駅から山科駅に沿った旧三条街道の500メートルにわたって露店が出る。
夜には歩行者天国になって、東西に走る三条街道の北と南に露天が並ぶ。小学生の低学年のときは家族と行き、高学年になると友人たちと待ち合わせた。中学生や高校生のころには彼女と一緒に露店を見て回った。高校生のころなんて不良仲間が露店で働いていて、彼女と歩いているのを冷やかされた。
別名『四ノ宮祭り』と呼ばれている。コロナ禍となって昨年と今年はどうなんだろう? 六地蔵の行事としては開催されても、露店はアウトかもしれない。だとしたら寂しいなぁ。ボクにとっては忘れ難い夏の思い出だから。
いま暮らしている六甲でも露店が並ぶ時期がある。1月の中旬に阪急六甲駅の南にある六甲八幡神社で厄除けの厄神さんがある。その際、神社の参道にそって南の山手幹線道路までの200メートルくらいに露店がぎっしりと並ぶ。商品を買ったりしないけれど、毎年歩いて雰囲気だけを楽しんでいた。
昨年はどうにかできたけれど、今年の1月は数件の露店が出ただけ。初詣のときでさえそんな状態だったから仕方ない。コロナで飲食店の苦労が報道されている。それでも補助金でどうにかしのいでいるお店もあるだろう。
だけど露店業の人たち、いわゆる『テキヤ』の人たちはどうしているんだろう? 昨日、そんな『テキヤ』の実態が記された記事を見つけた。
9割の日本人がよく知らない…縁日で屋台を出している「テキヤ」の商売の内幕
コロナで縁日が「消滅」…その余波で「テキヤ」に起きている苦しい事態
二本立ての記事で読み応えがあった。『テキヤ』の人たちを暴力団と同じように考えている人がいるけれど、本当はちがうことが詳しく書かれている。まったくの無関係ではないけれど、『テキヤ』という仕事は神社等の縁日によって生まれた領域なので、歴史は古く、数々の伝統やしきたりがある。興味のある人はこの記事を読むと、『男はつらいよ』の寅さんの生活がどんなものだったかわかると思う。
詳細は記事に譲るとして、やはり『テキヤ』の人たちは大変らしい。縁日が事実上消滅することで、食べていける状態ではないらしい。今年の秋に縁日が復活しなければ干上がってしまうところまで追い込まれているそう。
地元の『テキヤ』には縄張りがあるけれど、仁義を通すことで営業することはできる。だけど一回の営業で最低でも固定費が15万円くらいかかる。それでも利益が出るような状態で経済が回っていたのに、いまはそれさえも無理な状態になってしまった。
元々食べていけないので兼業の人が多いらしい。最近ではキッチンカー等に転職している人もいるとのこと。固定した店舗を持たないので、もしかすると補助金に対象となっていないのかも。どちらにしても人が集まらないと仕事にならないものね。
祇園祭は次の世代に継承する必要があるので、今年は鉾建てだけが実施された。五山の送り火も規模を縮小しながら、次代へと繋ぐために儀式が継承されていた。そしてこの『テキヤ』の人たちの仕事も、同様に継承すべき日本の文化だと思う。
日が落ちた夜空を照らす露店の灯りには、言葉にできないノスタルジーがある。経験した人ならわかるはず。どうかそんな素敵な文化がなくなりませんように。
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