今日の言葉 3月6日
『「私」とは所有物である』
私たちは所有します。なぜなら、所有物なしには無も同然の存在だからです。所有の対象は多岐に亘ります。世俗的な物は何も所有していない人でも、知識や観念に執着しているかもしれません。別の人は美徳に、更に別の人は経験に、更にまた別の人は評判や名声等々に執着しているかもしれません。所有物なくして、「私」はありません。「私」とは所有物であり、知識であり、家具であり、美徳であり、名声なのです。無も同然であることへの恐怖から、精神は名声に、家具に、評価にしがみつきます。
あなたは実は無なのですが、にもかかわらず無ではありたくないと思い続ける限り、あなたはいやおうなしに悲しみと敵意を生み出します。進んで無であろうとする気持ちは、放棄の問題でも、内面的または外面的な強制の問題でもなく、あるがままが持つ真理を見るかどうかの問題です。あるがままの持つ真理を見ることが、不安に対する恐怖——すなわち、執着を助長し、その対極にある無執着や放棄という錯覚へと行き着く恐怖——からの自由をもたらすのです。あるがままに対する愛が知恵の始まりです。愛だけが分かち合いを可能にし、愛だけが親交を可能にするのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜