サクラ
浅草の「あつみや」で馬刺し、煮込み、桜鍋に舌鼓
なぜ、馬肉が「桜」なのか??ちょっと気になって調べてみました。
最もポピュラーなのは“桜色”説。(①とします)
鉄分が他の食肉に比べて豊富に含まれているため、切って空気に触れると綺麗な桜色になる。もしくは鍋で煮込んむと、きれいな桜色になる。だから馬肉が「桜肉」と呼ばれる様になったという説です。
他にも諸説あるようで、
②坂本竜馬が高杉晋作と酒を交わした時に作った都都逸(どどいつ)に「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が騒げば花が散る」(駒=馬)というものがあったから、梅に鶯と言われるように、桜に馬と連想されるようになり、馬肉を桜肉と呼ぶようになったという説。
③詩人の高村光太郎が詩集「道程」の中で、「浅草の洋食屋は暴利をむさぼってビフテキの皿に馬肉を盛る。泡の浮いた馬肉(さくら)の繊維、シチュウ、ライスカレエ、癌腫の膿汁をかけたトンカツのにほひ」という一節から、馬肉を「さくら」と呼ぶようになった、という説。
④青い牧草ばかりを食べている夏場の馬刺しは、水っぽくて味が薄いが、冬場に干し草や穀類をたくさん食べて肥えた桜の季節の馬肉は脂がのって美味しいから、という説。
⑤高村光太郎説にあるように、文明開化で牛鍋が流行った時に、高価な牛肉の代わりに馬肉を入れてごまかしたお店もあったとか…それを「牛肉のサクラとして馬肉が使われた」ということで、馬肉をさくらと呼ぶようになった、という説。
⑥肉食禁止令が出ていた江戸時代までの名残り。大っぴらに肉食することが出来なかった時代に「猪を牡丹」、「鹿を紅葉」、そして「馬を桜」と隠語で表すようになった、という説。
⑦昔、千葉県の佐倉に幕府の牧場があって、乗るための馬を飼育していたことから、馬と言えば「佐倉(サクラ)」と言われる様になり、馬肉の事も桜肉と呼ぶようになった、という説。
明治になってから名付けられた説はちょっと説得力に欠ける気がします。私はやはり①と⑥がミックスされたあたりが真相ではないかと…どう思われますか?
⑥でしょうね、他は 後日のこじつけ
坂本龍馬は 当時有名人では無いし
光太郎を知る人は少ないでしょう
長野県伊那市の辺りでは 馬肉も
昔から食べられています
なるほど、そしてやはり!