死霊が引き寄せた罪悪感
成人している人で、罪悪感が存在しない人なんていないはず。些細なことであれ、あるいは生涯かけて後悔するようなことであれ、どんな人も罪悪感を抱えているはず。40代以上でそんなものないといい切れる人は、おそらくサイコパスだろうwww
だけど罪悪感を抱えたことによって、人生を見つめ直せることもある。そんなことを感じさせてくれる物語を読んだ。
2021年 読書#95
『ライディング・ザ・ブレット』スティーブン・キング著という小説。中編作品で、サクッと読める分量。ところがこれがなかなか深い物語で、いろんなことを考えさせられる内容だった。元々は電子書籍限定で出版されていたけれど、日本を含めていくつかの国限定で書籍化されているとのこと。
主人公のアランはメイン州立大学の学生。実家には母が一人で暮らしている。ある日隣人から電話が入り、アランの母が脳卒中で倒れて入院した。命に別状はないので安心するようにとのこと。時間が取れたなら、週末でいいから母親に会いにいってあげてほしいという電話だった。
もちろんアランは週末まで待つ気はない。たった一人の家族である母親が入院した。大学の教授へは友人たちに連絡を頼み、アランはヒッチハイクで母が入院している病院へ向かった。だけど残り30kmというあたりで、気味悪い老人の車から降りてしまった。それが失敗だった。
その後は車が見つからない。やがて墓場に入り込んだとき、気になる墓を見つけた。ジョージ・ストーブという名で、アランと同じ21歳で亡くなっている。なんとなくその墓が気になっているとき、ふいに自動車が現れた。
あわててヒッチハイクをすると、運転していた若い男性は病院まで行ってくれるとのこと。ところが車が動き出してからアランは後悔した。その男性の様子が変なことに気づいたから。まるでフランケンシュタインのように、首を切り取って縫いつけたような傷があった。
やがて運転している男が名乗った。ジョージ・ストーブだった。
ストーブは幽霊であることを認め、死者を連れていく役目だと語る。そしてどうしても一人だけ連れて行かないといけない。そこでアランに尋ねる。
「お前か母親のどちらかを選べ。街に着くまで時間をやる」
アランは悩む。ストーブは子供時代の出来事まで知っていて、ブレットというジェットコースターの話題を持ち出した。子供のころ乗りたいと駄々をこね、その列に並んだ。だけど怖くなって直前でやめた。暑さにイラついていた母親はアランを殴った。とても悲しい記憶だった。
そしてタイムリミットが近づいた。母親は愛しているけれど、これからの自分の人生のほうが長い。そして最終的にアランは答える。母親を連れて行け、と。
病院へ到着したアランは、母の死を覚悟していた。このあたりの描写は見事で、さすがスティーブン・キングという内容だった。母親を殺したという罪悪感にアランは苦しむ。ところが現実世界はそうならなかった。
母もアランも死なない。少なくともアランが大学を卒業して就職先が決まるまで母は生きていた。このラストによって、アランの罪悪感が彼の人生に与えたものを感じることができる。自分が捨てたはずの母との時間をアランは大切に過ごすことができた。それは深い罪悪感があったゆえだろう。
うまくいえないけれど、心が温かくなる物語だった。罪悪感は消せなくても、その想いをポジティブな方向に昇華することができる。そんな気持ちになれる素敵な物語だった。ちなみにこの作品は映画化されているらしい。おそらく映画はおぞましいことになっているような気がするけれどwww
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。