サリエンシーを求め続けたい
早いもので、今日で5月も終わり。梅雨入り間近なせいか、朝から今にも雨が降りそうな曇り空だった。だけど買い物に出るときパラパラと雨に降られた程度で、ほとんど傘を使わずに帰ってくることができた。
ほとんど、というのは、かなりきわどかったから。自宅マンションに到着する数分前に空が真っ黒になり、どしゃ降りの雨が降ってきた。もし傘を持っていなければ、その数分でビショ濡れになっていたと思う。
さて、今月中に新作小説の初稿を仕上げたかったけれど、まだ終わりを迎えていない。1週間ほどずれ込みそう。なんとしても6月中には完成させなくてはいけないので、とにかく全力で取り組むしかない。
小説に限らず創作というものは、作り手が完成させても、結果が出るのに時間がかかる。売れるかどうか判明するまで、ずっと待たなければいけない。すぐに答えが出れば、結果はどうだとしても次のステップに進める。だけど結果を保留したまま次の作品に向き合うには、モチベーションをかなり高めなくてはいけない。
ボクはそんな生活に慣れてきたので、自分なりに対処できるようになった。無意識にやっていた方法だけれど、先日読んだ本にそれに関する脳科学の用語が書かれていた。
それは、『サリエンシー』というらしい。
サリエンシー=精神生活にとっての新しく強い刺激、すなわち、興奮状態をもたらす、未だ慣れていない刺激のこと。
生まれたての子供にとって、外界の世界のすべてはサリエンシーとなる。だからストレスではあるけれど、同時にワクワクする。新しい刺激によって興奮して、そこからどう対処していけばいいか学ぶ。そうして脳は発達進化していく。
だけどそんなことを続けていると、人間の精神が破綻する。だから人間の脳は経験した出来事を、無意識にパターン化、あるいは記号化するらしい。つまり慣れ親しんたものを、既存のものとして意識の奥に追いやってしまう。もう気にする必要がなくなったものと見なす。
わかりやすい例で説明しよう。街を歩いていて、新築の家が建築されていたとする。「おっ、新しい家が建つんだな」と意識する。そのときふと思うのは、「この家が建つ前は、どんな建物だっただろう?」という疑問。意外にも、その前の建物を覚えていない経験をする人は多いはず。
個人的な知人の家だとか、何か記憶に残る経験をした建物なら覚えているだろう。だけど風景の一部になってしまった建物は、すでに脳のなかでパターン化されてしまっている。最初に見たときの感動は消え、特に意識しないものとして処理されている。だから思い出せない。
人間がモチベーションを高めていこうと思えば、このサリエンシーを求め続けることが必要になる。勝手に思い込んでパターン化してしまったことのなかに、新しい気づきが隠されているかもしれない。だけど脳に格納されてしまったものは、そうそう表舞台に引っ張り出してこれなくなる。
だからこそあらゆるものに対して、『新しい目』を向けることを意識している。自分の周囲にサリエンシーを集めることで、世界に対する好奇心を興奮とともに維持することができる。それが創作へのモチベーションとなっていく。ボクはそう思って、無意識に続けてきた。
これからも、サリエンシーを求め続けていきたい。生まれたばかりの子供の目で、『今』という瞬間を見つめたいと願っている。
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