宗教観の違いにある深い溝
人間は自分の信じていることにしか真実を見ない。信念に合致しない事実を突きつけられたら、徹底的に否定するか、見なかったことにする。極端な場合、本当に見えてないこともある。
そうした信念の最たるものが宗教観。世界にはキリスト教をはじめとして、イスラム教、ヒンズー教、そして仏教等の多くの宗教が存在する。各宗教の宗派のちがいや新興宗教まで含めると、数えきれないほどの信念が乱立する。特定の宗教をあまり意識しない日本人のような民族は少数派だろう。
それらの宗教観のちがいには、とても深い溝がある。本質を突き詰めていけば多くの共通項が見つかるはずだけれど、そう簡単いはいかないのが現状。
そうした宗教観が映画で使用されると、ちがう文化を背景に持つ人たちは当惑する。そんなことを感じた映画を観た。
『レフト・ビハインド』という2014年のアメリカ映画。キリスト教の終末観をテーマにした作品。だからキリスト教に関心がない人にとっては、かなりわけのわからないストーリーに感じられるだろう。そんな異色感がただよう作品だった。主演は写真のニコラス・ケイジ。
ニコラス・ケイジ演じるレイフォードはパイロット。家を離れて大学に通う娘がいる。妻は数年前から宗教にハマり、夫婦関係が破綻していた。だから彼の誕生日に娘が実家に戻ってきたのに、レイフォードは愛人のCAと過ごすべくロンドンへのフライトを入れていた。
ところがニューヨークからロンドンへ向かっている最中、機内で驚くべきことが起きる。乗客の何人かが、衣服だけを残してあとかたもなく消えてしまう。操縦席にいた副操縦士も制服だけを残して消えた。
管制塔とも連絡が取れないし、機内はパニックになる。そのうえパイロットがいなくなった別の航空機とニアミスをすることで、レイフォードのジェット機は燃料漏れを起こす。
地上でも同じことが起きていた。レイフォードの娘であるクローイもモール街で弟が消えてパニックになる。街は騒然としていて、運転手のいなくなった自動車があちこちで事故を起こしている。セスナ機が墜落してきたりもする。
自宅に戻ったクローイは、母も弟と同じく消えてしまったことを知る。そしてあることに気がつく。それは母が信仰する教会で以前から警告されていたことだった。同じく妻から同じことを聞かされていたレイフォードもそのことに気づく。
消えた人間は神が連れ去り、天国へ送ったということ。これから先に起きる苦難の時代を前にして、子供たち、そして信仰の深い人たちの魂を神が救った現象だった。つまり残された人は無信心者か、罪を負った人だということ。
映画としては娘の協力を得ることで、レイフォードが建設中の道路にジェット機を着陸させるところがクライマックスとなる。そして生き残った娘と二人、これからの苦難の時代をどうして生きていくかに思いを馳せるところで終わる。
ボクとしては、これは単なるパニック映画として観るべき作品だと思う。そうすればかなり楽しめる。娘の活躍にめちゃ興奮するからね。だけど宗教観の部分に着目すると、苦笑するしかなかった。
だって子供は無条件に救われるんだよ。それはあまりにも聖書的すぎる。子供だとはいえ、悪魔のようなやつもいるからねwww
それに肉体が消えることなく必死でジェット機を着陸させたり、乗客たちを励ましたCAたちが罪人だなんて思えない。人間にはいろんな面があるわけだから、単なる善悪で判断するなんてナンセンスすぎる。だからその部分にフォーカスすると、最低の駄作となってしまう。
キリスト教の聖書をありのままに信じる人なら、その部分に関しては大丈夫かも。だけどそうでない人は、パニック映画として観ないとしらけてしまうだろう。そんな微妙な映画で好演していたニコラス・ケイジは、本当に素敵な俳優さんだなぁ。
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