今月を振り返って
今日で5月も終わりです。当然ですが明日からは6月。夏のような暑さが続いていた5月の神戸ですが、最終日の今日は5月らしい気候になりました。
このアジサイが似合うような、爽やかな風が心地いい1日でした。窓を開けていると少し肌寒く感じるくらいです。
とりあえずまだ5月ですから、春を感じたいですね。
どちらも昨日撮影した写真ですが、5月の締めくくりに綺麗な花を並べてみました。
それにしても昨晩の地震は驚きました。神戸は震度2程度でしたから、めまいのような揺れ方をしただけです。地震だと感じた直後に妻がネットを見てくれると、小笠原だという表示にびっくり。遠方の地震を遠隔でキャッチしたのかと思ってしまいました
ところが日本全域が揺れていたのですね。M8.5なんて映画の世界のような大きなエネルギーの地震です。震源が浅かったら、もっと被害が出ていたでしょう。この5月は箱根山の噴火予兆や、口永良部島の噴火。そして大きな地震。いろいろと心騒がせる出来事が多かったですね。
ニュースでは訃報もよく目にしました。日々いろいろなことが起きるのがこの世界ですが、月の変わり目はそれらを総括したくなります。個人的にもいろいろなことがあった5月でした。
楽しいことも残念なこともありました。まぁ、人生はそういったものです。5月は誕生月ですから、余計にいろいろと感じるのかもしれません。
今月で嬉しかったのは、昨年書いたガストンが登場する小説を皆さんに読んでいただけるかもしれない、ということです。まだ確定したことではありませんが、実現することを願って今日も時間のある限り推敲に集中しています。ゴミ屋敷を掃除する気分で、大胆に文章を削っています。
そんな5月に最も意識していたのは、この世界に対する「自分」の関わり度合いです。「自分」を通じて世界を見ている限り、起きる出来事に一喜一憂することになります。そこで努めて意識していた言葉があります。
『真我は対象として知覚されるものではなく、意識する主体である』ということです。
つまり五感や心を通じて知覚したり意識することができる対象物は本当の自分ではない、ということです。
机や椅子は見たり触ったりして知覚できます。だから本当の自分ではありません。星や雲もそうですね。もちろん他人も対象物として知覚できますから、真我ではありません。
では「自分」についてはどうでしょう。腕や足は知覚できますから真我ではありません。怒っている、傷ついている、喜んでいる、楽しんでいる、という感覚も対象として感じることができるわけですから、本当の自分ではありません。
ここから先は難しくなってきます。何かを知覚している自分を意識できたとすれば、それは対象物になってしまいます。そのとたん、それが真我ではないことに気づきます。そうして、自分ではないものを自覚することに5月は集中していました。
ですから今月の私の言葉は、「誰が?」でした。
何かを言ったり、何かを感じたり、何か動いたとき、即座に「誰が?」と自分に問うように意識していました。そう言っているのは、感じているのは誰なのかを再確認するためです。
ほとんど返ってくる答えは「自分」です。私たちや日本人という言葉でその範囲が広がったとしても、そこには必ず「自分」が含まれています。でもその「自分」を知覚される対象物として捉えています。ですから「自分」は真我ではありません。
その「自分」を見ているのは、意識しているのは「誰が?」とさらに問いかけることができます。頭で考えている限り、それはエンドレスになります。つまり真我はどれだけ考えたからと言って、見つかるものではないということですね。
でも「誰が?」と問い続けることは大切だと感じています。感覚の主体となる存在を意識することは重要です。
知覚できる対象物全てがが本当の自分でないと確信できたとき、それを観ている主体としての本当の自分がわかるように思います。そして最終的に、知覚するものされるもの全てが、たったひとつの自分だったと知るのかもしれません。明日からも「誰が?」と自分に問い続けることを忘れないようにしたいです。
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