未来を見る視点の置きどころ
今日から5月です。私が生まれた月ですね。自分で言うのもなんですが、いい季節に誕生日を設定したと思っています。
今年も3分の1が過ぎました。ついこの前はお正月だったような気がするのですが。
そんな五月晴れの今日、今朝のブログで書いた通り引きこもりで大掃除に専念していました。普段は一日置きに約2時間、1万歩近くを歩くのですが、やはり大掃除となると違う筋肉を使うようです。どことなく筋肉痛になっているくらいですから、家事というのはいい運動になりますね。
予定通りのノルマを果たし、予定していた仕事もこなして、録画していた前回分の大河ドラマ『花燃ゆ』を先ほど見ました。吉田松陰が処刑される回ですから、楽しみにしていました。このドラマは毎回泣くのですが、今回もウルウルでした。
史実と脚色を交えて、なかなかいい構成になっていました。『留魂録』という彼の遺書からの文章もセリフに引用されていて、感動的なドラマになっていたと思います。処刑された日に両親の夢枕に立ったという話も、ドラマでは少し設定を変えて使われていましたね。
ドラマを見ていて感じましたが、松蔭は自分の死を日本を変える起爆剤にしようと考えていたのかもしれません。事実長州では、松蔭の処刑を契機として藩としての尊王攘夷、さらに倒幕という方向に突き進んでいきます。そういう意味では松蔭の思惑通りだったのかもと思ってしまいます。
松蔭のような時代の先を見る人物は、その当時の主流派に揶揄されます。先を行き過ぎて、普通の人からは見えない視点で語っているからでしょう。そういえば昨日読了した本も、時代を見越した方が書かれた本でした。
『資本主義と自由』ミルトン・フリードマン著という本です。
地道に経済学の勉強もしているのですが、ネットで何度もこの本のタイトルを目にしていました。一度は読んでおくべきだ、という声が多かったので、以前から気になっていた本でした。そうした評判通り、確かにとても読みやすくて面白い内容です。まさに現代経済の核心をついている内容でした。
ところが、ところが……。
途中までうっかり忘れていたのは、この著作が世に出た時期です。本の奥付の初版は2008年なので、最近といえば最近です。でもそれはこの翻訳本のことです。もともとこの著作がアメリカで出版されたのは1962年。つまり私が生まれた年なのですよ〜〜〜
どう考えても現在の内容に見えるのですが、確かに取り上げられているのは戦前の世界恐慌だったり、1950年代のアメリカの社会事情です。その時代のアメリカ経済の問題をあぶり出して、こうするべきだという提案がいくつもなされています。
その当時の主流派からは異端視された内容ですが、現在では私のような素人でも当然だと思うようなことばかりです。例えば為替の変動相場制を取り入れるように指摘されています。今では当たり前のことですね。でも当時はほとんどの国が固定相場制を取っていた時代でした。
そして現代の私が読んでも、積極的に取り入れていけばいいと思える指摘がたくさんありました。個人的にいいなと感じたのは、法人税を廃止して、所得税の累進税率を定率に変更して、負の所得税という新たな考え方を導入すべきだという提案です。その他にもいろいろありました。
残念ながら2006年に著者は亡くなっておられます。でも50年以上もの先を見越しておられたなんて素晴らしい。ノーベル経済学賞を受賞されたのも納得です。
この二人のように未来を見ることに長けた人間の視点の置きどころは、いったいどこにあるのだろう、と考えていました。過去の歴史を通じて学ぶこともあるでしょう。そしてそこから未来を予測できるかもしれません。
でも私は、そうした卓越した視点を持っておられる方は、「今」に自分の全てのエネルギーを集中されていたのでは、と考えています。時間という幻想の枠組みを飛び越えて、普遍的なものを見出す場所。それは過去や未来という時間概念から超越した「今、ここ」しかないと思います。
人生で積み重ねてきた多くの概念に惑わされることなく、ありのままの「今」を集中して見つめる。そこから未来への確かな展望が見えてくるのではと思います。彼らの視点が常に注がれていたその場所。それはやはり「今」ここ」だったのでは、と勝手に想像しています。
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。