頭の疲れも生理現象だった
小説を書いていたり、読書をしていると、もうこれ以上はあかんという状態になることがある。頭の疲れが限界になって文章が適当になったり、読んでいる内容が頭に入ってこない。その疲れには眠気が伴うこともあるし、そうでないときもある。
それはボクが勝手に執筆持久力、読書持久力と呼んでいるもので、この限界を伸ばしていくのは経験と気合だと思っていた。たしかに意識することで、疲れが来る時間を引き伸ばすことができる。だけどその努力にも限界がある。
だから最近は疲れのピークが来たら、すぐ休むことにしている。ボクの場合は仮眠。10分から15分くらい眠ることで、頭が完全にリフレッシュする。短時間に眠るのは得意なので、ボクにはこの方法が合っている。
本当は持久力をもっとつけたい。まだまだ気合が足らないのだろうか? そう思っていたけれど、それは誤解だったかも。頭の疲れも肉体と同じように、物理現象を伴う生理機能とのこと。
リンク先の記事は、フランスの研究チームが発表した内容をまとめたもの。肉体の疲れは物理現象として把握されている。よく耳にするのが筋肉疲労。乳酸がたまったという言葉で表現されることが多い。つまり疲れたら休むことによって乳酸の状況が整う。
だけど頭を使った作業については、まだ明確な生理機能が解明されていなかった。激しい運動をしたわけでもないのに、1日中パソコンで作業をしているだけで頭が疲れる。以前の一般論として、「精神的な疲労とは、より満足できる活動を行わせるために脳がつくり出した一種の錯覚である」と言われてきたそう。
ところがそうではないことがわかった。頭を使う作業を継続することで、疲れを感じる理由となる物質が確認されている。それはグルタミン酸。
グルタミン酸は、「重要な神経伝達物質であり、気分・記憶・学習能力をコントロールし、脳の機能を最適化する役割を担っています」とのこと。つまり頭脳作業にとって必要不可欠な存在。
だけどハードな知的作業を続けていると、そのグルタミンが過剰に蓄積される。そうなると交通渋滞のようになり、脳は適切な頭脳作業ができなくなってしまう。ボクが感じている頭の疲労はその状態なんだと思う。
こうなると判断力が大きく損なわれた状態になる。脳は負担の少ない安易な意思決定をしてしまう。だから頭の疲れた状態で重大なことを決定しようとすると、取り返しのつかない決断をしてしまうかもしれないということ。
これは生理機能だからどうしようもない。根性論で語るべきではないということ。疲れを感じたら休む。そしてもう一度じっくりと考える。人間は常に判断を求められているからこそ、グルタミン酸の量を適切にキープすることが大切なんだろう。
つまりボクの休憩方法は理にかなっている。無理に持久力を伸ばそうとしないで、仮眠することでリスタートする方が効率的だということ。ただしやる気がないのは、グルタミン酸の過剰による疲れじゃないからね。そのちがいを見極めておかないと、ダラダラと過ごすだけの1日で終わってしまうだろうなぁ。
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