今日のウィルバーくん 7.24
人間は思考する生き物です。ああでもない、こうでもない、と様々なことを考えています。瞑想において最も妨げとなるものは、その思考です。そして止めることが難しいものでもあります。「赤いリンゴを思い浮かべてはいけない」と言われたら、頭から離れなくなりますからね。
しかし止めることのできない思考を見つめることで、悟りへと到達できる。ウィルバーはそう述べています。彼の言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
聖アウグスティヌスが言ったように、大きく疑うことから始めよ。そして、すべてをできるかぎり疑うのである。あなたは論理に対する信頼をも疑うことができる。感覚的な経験をも疑うことができる。こうした疑いのなかで、あなたは疑いそのものに気が付く。疑っていること、そのこと自体の確かさに、意識のなかで直接に気が付く。今、自分が疑っているということ、このこと自体の確かさは振り払うことができない。外面的な世界におけるいかなる真実をも疑うことはできる。けれども内面における、今、「気が付いている」という直接的な確かさを疑うことはできない。この内面の基本的な覚醒の確かさというもの、この確かさだけは、決して疑うことができない。
(中略)
基本的な覚醒としての「スピリット」は、証明しなければならない何かではない。そうではなく、何かを疑うということそれ自体が、その疑いの基底そのものを前提としているのである。したがって証明の必要はない。こうして「スピリット」は、見つけるの難しいのではない。そもそも避けえようがないものである。
究極の実在への道は、外側にあるのではない。それは内側にある。理性から始めよう。理性のなかに、そして、その底にある基本的な「直接性」へと入っていく。この直接性が、理性を超えたコスモスのグラウンド、基底へと連れていく。こうして最終的に、究極的に、真理とはわたしのなかにあるのではなく、またわたしのエゴのなかに閉じ込められているのではなく、むしろわたしを超えたものである。直接の「現前」が開くものは、わたしを超えた、永遠のすべての存在の「存在」である。わたしのなかへ入っていく。そしてそのことによって、わたしは、わたしから自由になる。それはわたししかいないという拘束からの、永遠の解放である。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『進化の構造』より。
哲学的な小難しい文章なので、とっつきにくい印象を持ちますね(笑)でもウィルバーが伝えたいと思っていることは、とてもシンプルです。
思考はフラフラとさまようものだけれども、その思考を感じている自分は『確か』だ、ということです。世界のすべてを疑い信用できなくても、疑っているという自分は確実に存在します。疑いようのないものです。社会に対して不満を覚え疑問に感じていても、不満を感じている自分の存在に疑問を持つことはありません。
理性がフルに働く思考のなかにも、実は揺るぎない「確か」なものを感じることができるのです。そしてそれは存在するすべてに基底として置かれているものです。それなしには、何も、誰も、存在できません。とめどなく湧き出す思考を止めるのではなく、その本質を知ることのほうが大切なのでしょう。
自分の思考が止まらず、それに囚われているときでも、その事実を客観的に見つめている目撃者がいます。それは自分というエゴを超えたものです。ウィルバーが伝えたいことは、そのことだと思います。
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