SOLA TODAY Vol.978
幸福というのは主観的なもので、人によって感じ方がちがう。でもどこに幸福を求めるかによって、個人が感じる幸福度に大きな差が出てしまう。
ボクが常に意識しているのは、幸福を自分の外の状況や環境に求めないこと。どんなささいなことでもいいから、自分の内面で受け取るものに幸福を感じている。
たとえばこの『SOLA TODAY』というブログのカテゴリー。何があっても1000回までは続けようと決意して始めた。そしてまもなく1000回目を迎える。
先日そう思って計算してみると、このまま毎日続けたら2019年の前期が終了する6月30日でちょうど1000回になる。こんなにぴったり合わせるなんて、意識してもなかなかできない。そう感じるだけで、人智を超えたなんらかの高次の意思が介在しているように思える。これだけでボクはどっぷりと幸福にひたっている。
そんな幸福について、とてもわかりやすく書かれた記事がある。
いくら頑張っても幸福になれない理由は、幸福の本質が「なる」ではなく「見つける」だから。
幸せになりたいと思ってがんばっているのに幸福感を得られないと感じている人は、一度この記事を読んでみるほうがいいかもしれない。もしかしたらアプローチそのものに問題があるかもしれない。
ここに書かれている内容は、ボクの感覚と同じ。自分の外に幸福の要因を求めている限り、それは逃げ続けるだけ。たまたま手に入っても、すぐに滑り落ちていく。結局は虚しさを抱えつつそれを追いかけ続けることになってしまう。
ヨーロッパの人は、日本人に比べて幸福度の高い人が多いそう。この記事によると、それは日常生活に対する解像度が高いゆえらしい。つまり日常のささいなことに幸せを感じることができるから。
望んでいる何かを手に入れることに幸福の条件を置くのではなく、自分が幸福に『なる』ことに主眼を置いている。記事にはこう書かれている。
「わかりやすく言うと、幸福な人ってのは、「自分がいかなる状況でも「幸福である」と信じる力を持っている人」のことなんです」
ボクもそう思う。ただ誤解してはいけないことがある。人間にとって挫折や失望は無意味じゃない。自己検証と自己嫌悪なしに成長はありえない。だからどうせ自分は何をやってもダメだから、とあきらめ気分で現状に幸福を見いだすのはちがうと思う。それは現実逃避でしかない。
仕事のスキルをあげたい、新しいビジョンを獲得したいという場合、いまの自分に対する不満が貴重な原動力になると思う。ただそれは前へ進むためのエネルギーであって、幸福の尺度ではないということ。
自己嫌悪や挫折感を味わいつつ、必死になって努力することにだって幸福を感じることができる。それは自分の内面に幸福の基準を置いているから。シンプルだけれど、ちょっとしたひらめきを引き出してくれる良記事だった。
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