ただ、ただ、あなたに会いたい
1070年代にティーンだったボクにとって、70年代と80年代の洋楽は魂の構成要素だと断言していい。特に当時のロックミュージックは、ボクの血肉を通じてDNAに刻み込まれているはず。
ボクが初めてエレキギターを手にしたのは中学生のときで、当時の日本のロックファンを魅了していた3つのグループがある。
クイーン、キッス、そしてエアロスミス。
どのバンドも大好きだし、ほぼすべての楽曲を把握している。中学校のときに初めて組んだバンドはキッスのコピーバンドだった。
だけどボクは真剣に耳を傾けて情熱を注ぎ込んだのは、迷うことなくクイーンだと断言できる。ボクが初めて聴いた彼らの曲は、サードアルバムからシングルカットされた『キラー・クイーン』という曲。
いままで耳にしたことのない音の厚みと美しさに言葉を失った。歌詞を知りたくて調べてみると、『対訳不能』と表示されていた。そんなところでさえ、ボクのツボに入ったらしい。だから初期のクイーンに関しては、かなりオタク的なファンだと自認している。
だからこの映画が公開されたとき、迷うことなく映画館へ足を運んだ。そして涙が枯れそうになるほど泣いた。
あれから1年以上が経過したけれど、またその映画が観たくなった。
『ボヘミアン・ラプソディ』という2018年のイギリス・アメリカ映画。エイズで亡くなったフレディー・マーキュリーを主人公とした、1970年から1985年のクイーンの物語。
『ボヘミアン・ラプソディ』という曲は、『オペラ座の夜』というクイーンの4枚めのアルバムに収録されている大ヒット曲。この曲が完成していく過程を中心として、落ち目になったクイーンが1985年のライブエイドで復活するまでを描いている。
実話に基づいているが、ドキュメントではない。クイーンのギタリストであるブライアン・メイもインタビューに答えていたけれど、映画の尺に収めるために、実際にあったことが多少前後しているとのこと。映画の出来事が時系列どおりに起きたのではない。
でもこの映画を観れば、フレディがどんな人で、どのような苦悩を抱え、そしてどうしてその苦悩を乗り越えていったかがわかる。さらにバンドのメンバーや友人たちが、エイズになったフレディに彼の家族として寄り添ってきたこともわかる。
ボクはフレディが好きすぎて、この映画についてあまり語れない。オープニングを観ただけで涙ぐんでしまう。今日も最初から最後まで泣き通しだった。ラストのライブエイドのシーンなんて、涙で曇って映像が見えなかった。
いまならエイズは決して不治の病ではない。もう少しあとの年代だったら、フレディはいまも生きていただろう。そんなこと言っても仕方ないんだけれどね。
先日もクイーンが来日していた。ボクは他のメンバーも好きだから興味はあった。特にブライアン・メイのギタープレイには惚れているからね。
でも絶対に無理。フレディがいないクイーンは、クイーンじゃない。そんな彼らを見ても切なくて胸が苦しくなるだけ。70歳を過ぎたフレディが歌っているのなら、何を置いても絶対にライブに参加したけれど。
ただ、ただ、フレディ、あなたに会いたい。あなたの伸びやかな歌声をもう一度聞きたい。この映画の感想は、それしかないない。
ということですぐにTSUTAYAへ返すのはもったいないので、もう一度観よう。そして思いきっり泣こう。フレディを想って。
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