マントラや念仏の瞑想効果
ボクが20歳のころ、TM瞑想(超越瞑想)というのを習いに大阪へ行ったことがある。インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギという人物が考案した瞑想法で、あのビートルズも解散前に4人でインドまで行って指導を受けたことがある。
とてもシンプルな瞑想法で、心のなかでひたすらマントラを唱えるだけ。使用するマントラは講習を受けたあと指導者から授けられる。与えられた人だけのマントラなので、決して他人に言ってはいけない。もし受講者同士でそのマントラをバラしたら、まったく同じものかもしれないけれどね〜www
いまでもそのマントラは覚えているし、ときどき瞑想に使っている。体外離脱をするときも、変性意識へ移行するのに効果的。
このマントラを唱えると、なぜ人間は変性意識になりやすいのか? それは同じ言葉をくり返すことに意味があるらしい。
言葉の意味が分からなくなる「意味飽和」とは? 同じ言葉の繰り返しは人を気持ちよくさせる
それは『意味飽和』というもの。初めて目にした言葉だった。
よく知られている言葉に『ゲシュタルト崩壊』というものがある。同じ漢字を見ているうちに、まったくちがうものに感じられる心理的作用のこと。だけど『意味飽和』はよく似ているけれど、根本的にちがうところがある。それはその言葉の意味がわからなくなってしまう状態。
記事にわかりやすい例が書かれているの抜粋しておこう。
『ゲシュタルト崩壊が「こうえん」の「公園」が「ハム園」に見えてくるのに対して、意味飽和はそもそも「『こうえん』ってなんだっけ?」と意味が分からなくなることを指します』
人間の脳は言葉を発すると、その意味を思い出そうとする。それには多大なエネルギーを消費するらしい。だから同じ言葉を何度もくり返していると、脳が疲れてくる。そして思い出す作業をやめてしまう。だから意味が分からなくなってしまうそう。
瞑想というのは思考を見つめ、それを追いかけないようにすること。すると思考は空に浮かぶ雲のようにどこかへ流れていく。つまりマントラをくり返し唱えることで『意味飽和』を起こし、考えることを中断させる効果があるんだと思う。
だから浄土宗や浄土真宗においてひたすら念仏を唱えさせるのも、信者たちに『意味飽和』を誘引させるためのものだと思う。親鸞さんは、直感的にそのことを知っていたのかもしれないね。
そのうえ『意味飽和』は、人間に心地よさをもたらすそう。脳が疲れて考えることをやめ、その言葉のリズムに委ねてしまう。だから瞑想には最適なんだろうね。特にマントラはもともと日本人にとって意味がないので、さらに効果的なのかもしれない。
何かとストレスの多い現代社会だから、あえて『意味飽和』を起こすことで、心地よくリラックスするのは大切かもしれないね。
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