配慮のない変更が最悪の事態に
久しぶりにおぞましい事態を目撃した。以前からヤバいと思っていたけれど、それまではどうにか踏みとどまっていた。
ところがついにダムを決壊させるような最悪な事態を引き起こした。やっちまったな、という言葉しか出てこない。
何かといえばある映画のこと。シリーズ化された作品で、原作はベストセラーになっている。それで映画化されていたけれど、3作目で最悪の事態を迎えてしまった。
『特捜部Q Pからのメッセージ』(原題:Flaskepost fra P)という2016年のデンマーク、ドイツ、スウェーデン、ノルウェーの合作映画。
このブログで何度も紹介しているデンマークのベストセラー小説である『特捜部Q』シリーズを映画化したもの。その第3作目がこの作品になる。
原作は最高作かと思うほと素晴らしかった。その感想は『子供に信仰の自由はない』という記事に書いている。
原作と映画に差が出るのは仕方ない。特にこの作品はかなり手の込んだストーリーなので、完全な映画化は無理だと思う。それゆえストーリーを変更するのは当然なんだけれど、第2作目を観ているときから不安を覚えていた。
それは主人公である刑事のカールと助手のアサドの描写が浅いから。この物語の魅力は、この二人のキャラに大きく依存している。カールは妻とトラブルを抱えていて、義理の息子のイェスパという少年の扱いに困っている。そのうえ第1作で部下の一人を死なせ、もう一人は首から下が麻痺になるという重傷を負わせることになった。そのことでトラウマを抱えている。
だけど映画のカールは、そのトラウマだけがクローズアップされて、彼の明るい部分のキャラがスルーされている。カールの心の闇にばかりフォーカスすることで、プッと笑ってしまうような貴重なキャラを映画は台無しにしている。そして半身不随になった元部下を自宅に預かる、という彼の優しさにも触れていない。
アサドはシリアの難民という設定なんだけれど、原作でも謎が多い。諜報員だったか軍の特殊部隊にいたかのような才能を見せている。そんな謎が原作では少しずつ明かされていくのに、映画では単なるアラブの助手でしかない。この部分で映画は大失敗をしている。
されに付け加えるなら、第2作から登場したローセという秘書。彼女は優秀な人物だけれど、やや性格に難があって他の警察署を追い出されている。それでカールが預かることになった。ところが原作の第3作では、彼女が多重人格者だったことがわかる。映画はこのことについてもスルー。
つまり複雑な事件のストーリーを映像化するのに精一杯で、この物語の主要人物である3人のキャラを殺してしまっている。そしてそれは結果として、メインテーマである事件に関する物語をも破綻させていた。
3人のキャラと正体不明の犯人が化学反応を起こすことで、この第3作は爆発的に面白くなる。そんな場面が一切なく、陳腐な誘拐劇となってしまっている。本来は新興宗教の矛盾をクローズアップする物語なのに、単なる連続殺人事件としてしか感じられない。
もちろんストーリーも大きく変更されているし、原作で登場した犯人の妻もスルー。事件解決に貢献する犯人の愛人も無視。とにかくここ最近でみた映画としては、これほど原作を台無しにした作品にお目にかかったことがない。
そもそもの原因は、第1作と第2作で主人公たちのキャラをきちんと描いたこなかったから。そのつけが第3作で一気に出てしまった印象が強い。あまりにひどい映画だったので、久しぶりにグチがばかりのブログになってしまったwww
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