ガストンとの対話 Vol.7
ガストン、遅くなりました。御嶽山の噴火のニュースを見ていたもので……。
「あぁ、大変なことになったな。自然は人間の心を豊にしてくれるが、一瞬で命を奪うこともある。地震や大雨の被害も同じだな」
えぇ、そうですね。噴火の予測ができなかったのかという声があがっていますが、やはりこうした登山は危険が伴うことを認識する必要があるということですね。危険があるとどこかで理解していても、雪山等の登山をする人は多いです。それほど楽しいことなのでしょうね。
「登山は体力を使って辛いものだ。そして高度な経験と技術を要する山もある。それでも人は登ろうとする。なぜだと思う?」
頂上を制したとき、その達成感が特別なのでしょうね。美しい景色も見ることができますし。でもそれだけではない、もっと強い動機があるように思います。それは何なのかなぁ?
「登山に限ったものではない。楽器の演奏でも、絵を描くことでもいい。ダンスもそうだな。ギャンブルにハマることも同じ意味あいを持っている。そこから何か共通点を見つけることができないか?」
えぇ〜!登山からギャンブルまでの共通点ですか? 全く想像もつきません。強いて言えば、仕事のない休日にやることが多いのかな?
「少しピントがずれておるな。足を踏み外したら崖下に落ちる道を歩いているときはどうする? 楽器を演奏しているとき、何を考えておる? パチンコに必死になっているとき、普段の仕事のことを考えているか?」
私はパチンコをしないからよくわかりませんが……。とにかく必死ですよね。登山なら一歩一歩慎重に足を進めて、楽器は音を外さないように他の演奏者と合わせて、パチンコなら玉をコントロールして「当たり」が出るのに集中している……。あっ、そうか! 「今、ここ」に全神経を集中しているのですね!
「その通り!何かに夢中になっていたり、命の危険を伴う行動を取っているときは、「今」の全てに神経を注いでいる。過去の失敗や未来の不安を考えている余裕がない。つまり人間は「今、ここ」にいるときが最も心地良く、想像を超えるパワーを得ているのだよ。だからその感覚が病みつきになる。何度も高い山にトライしたり、難易度の高いダンスに挑戦したり、ギャンブルにハマるのだ。それは「今、ここ」にいる瞬間の快感が忘れられないからだ」
なるほど、「今、ここ」にいることが人間にとって自然な姿であり、エネルギーや直観に満ちあふれているのですね。あれ?そんなに居心地がいいのに、なぜ日常生活で私たちは「今、ここ」にいることができないのでしょうか? 楽しいことなら自然とやりますよね。
「それは人間が想像以上に「自我」と強く結びついているからじゃ。「自我」の正体は自分を証明する過去の履歴であり、過去にしか存在できない。「自我」が唱える未来はその過去が投影されたものであり、やはり過去だ。人間が「今、ここ」にいるようになると、「自我」は消滅する怖れを持つ。必死になって過去に引き戻そうとする。だから登山やギャンブルという、特別なイベントでしか「今、ここ」を感じることができなくなっているのだな」
それならもし普段から「今、ここ」にいることができたなら、何をやっていても夢中になっていることと同じ気持ちで過ごすことができるのですね。仕事をしていても、家事をしていても、遊んでいても。全てにおいて自分本来のエネルギーを感じることができる。「今、ここ」にいることで人生が大きく変化するという意味が、とてもよく理解できました。
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