今日のウィルバーくん 7.6
片手の拍手はどんな音がするのか?
これは禅の公案です。普通は片手で拍手できませんね。拍手するには両手が必要です。そしてそれが私たちの普通の感覚です。
つまり私たちは主体と客体という「両手」の経験を持っているわけです。手を合わせるということは交流することであり、それが音になります。主体としての私が、客体としての世界とぶつかることで経験が生まれます。そしてそこに人生の苦しみが生じるのです。
ではどうすればその苦しみから抜け出すことができるのか? ウィルバーの言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
通常の経験の構造とは、顔へのパンチのようなものである。通常の自己とは完全に打ちのめされた自己である。外側にある世界に打ちのめされているのだ。通常の自己とは傷だらけ、青あざだらけである。それは両手を合わせるという経験の結果なのである。この青あざこそ、ドウッカ、苦しみなのである。クリシュナムルティが言ったように、主体と客体の隙間(ギャップ)にこそ、人間すべての苦しみがあるのだ。
非二元の状態であると、そこに両手はなくなる。主体と客体は一つの手となる。あなたの外側にあるものがあなたにぶつかるということはない。傷つけたり、苦しめたりすることはなくなる。突然、あなたは経験をもつ、ということはなくなり、あなたが経験となる。そしてあなたは、すべての空間へと解放される。
あなたとコスモスは一つの手、一つの経験、完全なるものの身振りとなる。あなたの外側に、何か望むもの、何かつかむものはない。あなたの魂は全宇宙に広がって、すべてを無限の歓喜で抱擁する。あなたは完全に充足しており、飽和している。あまりにも充足し、飽和しているので、宇宙は爆発して痕跡もとどめない。残るのは、日付も持続も、時間も位置もなく、無限の慈悲の海につつまれたあなたである。あなたはすべてとして、すべてのなかに解放される。あなたは自分で自分を見つめる輝くコスモスである。あなたは宇宙であり、その味わいは無限である。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『万物の歴史』より。
詩的な表現ですが、ウィルバーが言わんとすることは理解していただけると思います。私たちが主体と客体のギャップを感じている限り、人生において苦しみが消えることはない。そう言っています。
つまり両手で拍手をしている限り、二元化の世界から抜け出すことができないのです。そこで最初の公案の言葉が思い浮かびます。片手の拍手はどんな音がするのか?
この音はワンネス意識を指しています。片手の拍手の音とは、外側と内側、主体と客体というものはなく、あるのは直接的な意識それ自体である、ということをひと言で述べたものだと思います。
私たちが片手の拍手の音を理解できたとき、自分を取り巻く世界から苦しみが消えているのを知るのかもしれませんね。
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