今日の言葉 4月26日
『愛とは確かに情熱である』
情熱がなかったら、人は敏感たり得ません。どうぞこの情熱という言葉を敬遠しないでください。ほとんどの宗教書やグル、スワミや指導者、等々は「情熱を持つなかれ」と言っています。しかし情熱がなかったら、どうやって醜いものや美しいもの、カサカサ音を立てる葉っぱや日没、笑いや泣き声に敏感でいることができましょうか? 内に放棄を宿す情熱感がなかったら、どうやって敏感になれるのでしょう?
愛というのは「私」が全く存在しない状態のことです。愛とは非難が全く存在しない状態のこと、セックスがいいとか悪いとか、これはいいけれど他のものは悪いと言わない状態のことです。このように相反するものは、何一つとして愛ではありません。愛には矛盾が存在しません。そして情熱がなかったら、どうやって人は愛することができましょうか? 情熱がなかったら、どうやって敏感になれましょうか?
敏感であるというのは、あなたの隣に座っている人を感じるということです。不潔で、堕落しており、貧困にあえぐ街の醜さを見ること、川や海、空の美しさを見るということです。もし情熱がなかったら、一体どうやってそういった物事全てに対して、敏感でいられるでしょうか? どうやって涙や微笑に気がつくことができるでしょうか? 愛とは確かに情熱なのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜