昭和を出版の世界から見た
昨日の夜半過ぎから明け方にかけて、大量の雨が降った。スマホの大雨情報の通知で起こされ、マンションの壁を叩く雨音に起こされ、大雨の影響でドアやトランクルームの扉を開け閉めするとなりの家の住人に起こされたので、午前4時台からまったく眠れない状況だった。
それでも神戸はまだマシだったようで、奈良方面はすごい雨が降ったらしい。秋雨前線の影響だけれど、これで秋が一歩近づいてきたような気がする。暑い夏を過ごすと、心地いい秋が待ち遠しい。よく考えたたら、人間は「待つ」という状況によく置かれる。
商売をしていると銀行に融資を申し入れ、その結果を「待つ」ことがあるだろう。受験生は必死で勉強して試験を受けると、あとは結果を「待つ」だけ。遠距離恋愛をしているカップルなら、月に1度会える日をひたすら「待つ」だろう。
何かのアクションを起こしても、その結果が出るのに「待つ」ことが多い。そしてその「待つ」という行為には、必然的に忍耐力が要求される。先ほどの遠距離恋愛の例なら、会いたくてたまらなくなって、約束より早く会いに行くという行動をとることは可能。
だけどほとんどの「待つ」は、自分の手を離れていて、ただひたすら「待つ」しかない。なんとかして途中経過でもいいから知りたいと思うけれど、結果的にその時期が来るまで「待つ」しかない。
実はボクも、あることで「待つ」という状況に置かれている。どうあがいても「待つ」しかない。このなんとも落ち着かない状況は、他のことに夢中になることで多少は忘れられる。ボクの場合は、ひたすら仕事に集中することで、「待つ」をやり過ごしている。
そしてその「待つ」を仕事にしている代表的な人が、出版社の編集者。著者に原稿を依頼しても、締め切りまで「待つ」しかない。もうこれ以上は待てない、という状況になるまで、著者を信じて「待つ」しかない。そんな編集者という仕事を30年も続けた人物の本を読んだ。
『編集者放浪記』高田宏 著という本。
高田さんは京都大学を卒業して、昭和30年(1955年)に光文社という出版社の編集者として社会人生活をスタートされた。光文社といえば『女性自身』という雑誌で有名。でもこの当時はまだ小さな出版社で、講談社の社屋で間借りされていたらしい。
その後、転職をされながらも、昭和58年まで編集者として仕事をされてきた。それからは文筆専業となられているが、この本はその編集者時代のエピソードをまとめたもの。
ちょうど日本の高度経済成長の時代に出版の仕事に携わっておられたので、読み進めていると当時の日本を目の当たりにすることができる。『ALWAYS三丁目の夕日’64』という映画がある。
この作品に吉岡秀隆さんが演じる作家がいて、その担当の編集者が登場する。大森南朋さんが演じているが、この本を書かれた高田さんはちょうどこの時代に編集者を経験されていたことになる。そう思って読むと、とてもリアルにイメージできた。
印象に残っているのは、ある老作家の話。高田さんが入社して間もないころ、くたびれた雰囲気の老人が出版してほしいと原稿を何度も持ち込んできた。ところが担当の編集者は、冷たくあしらって追い返してしまう。
なぜそんな冷たい態度をとるのかと尋ねると、その老人は戦前には有名な流行作家だったらしい。だが慢心というのは恐ろしい。その当時は芸妓をあげた料亭に原稿を取りにこさせ、引き換えに原稿料を持っていこいと上から目線で言うような人だったらしい。
担当者が原稿を取りにくると、「ほれ、欲しかったら持っていけ」と一枚ずつばらまく。そしてあわてて原稿を拾い集める編集者をあざ笑っていたとのこと。ところが戦後になって売れなくなり、どの出版社にも見向きされなくなった。その末路が、物乞いのように出版社を日参することだった。
教訓に富んだ、なんとも切ない話。人間が謙虚さを失うとどうなるかを思い知らされる。時代的にはひと昔前の編集者としての体験談ではある。でも先ほどの例のように、勉強になることがたっぷりと書かれていた。書籍や出版に関わって生きている人、あるいは生きていこうと思っている人は、ぜひ読むべき本だと思う。
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