SOLA TODAY Vol.845
掌を返す、という言葉がある。あるいは朝令暮改とも言えるかな。これらの言葉は平気で前言をひっくり返すことを指すが、政治家にはよくあることだろう。
あるいは科学的な新発見や、歴史上の新史料が発見されたときに学説が180度変わることがある。
けれども人間の心の問題を扱うはずの宗教が、まったく正反対のことを言い出すと困惑するだろう。その宗教を信仰している人は、何を信じていいのかわからなくなる。とても笑えない話なんだけれど、つい笑ってしまうような出来事が過去にあったらしい。
それはメガネについて。
日本人の半数は近視で、メガネやコンタクトで視力を矯正したり、最近ではレーシックをやっている人も多い。それは昔から同じで、この記事によるとメガネが世界史に登場したのは13世紀のイタリアとのこと。
ところがそう簡単にメガネが普及したわけじゃない。その障害となったのがキリスト教。
「人間が神から授かった目の能力に異議を申し立て、神の意思に背いて視力を回復する悪魔の道具」と言い出した。現代人からすれば笑うしかない。
なんとこれが200年近くも続いたらしい。メガネが普及するきっかけになったのが、15世紀の活版印刷の発明。これによってメガネが一気に市民権を得ることになった。
その理由が、これまた笑ってしまう。
キリスト教組織は、聖書を印刷して布教活動をすることに決めた。そのためには聖書を読んでもらう必要がある。だからあっさりと過去の意見を無視して、メガネをつけるように推奨したらしい。やっぱ笑うしかないwww
つまり人心を支配することしか考えていない宗教家の言っていることは、その程度だということ。もっと大きな目的のためなら、簡単に自説を捨ててしまう。結局振り回されるのは信者の人たちだよね。
ところがこれは決して過去の話じゃない。今でも同じようなことが起きている。中世のキリスト教にあたるようなものが現代にあるとしたら、生活に密着している最新技術だと思う。
13世紀の人がメガネを排除したのは、新しいことに対する抵抗であり恐怖だと思う。より便利になるはずなのに、変化を受け入れることができない。
それは現在でも同じ。日本でいつまでもキャッシュレス化が進まないのは、今までどおりでええやん、という気持ちがどこかにあるからだろう。かたくなにガラケーを手放さない人や、スマートフォンを子どもたちの害悪のようにみなしている人は、そうした変化に抵抗したり恐れを感じているんだと思う。
変化に対する柔軟性を持っていないと、中世の人たちのように振り回されてしまうことになる。特に現代における技術革新は、中世に比べて変化が格段に早くて大きい。ちょっとボンヤリしているだけで、何を言っているのかわからない用語が飛び交う時代になった。
うっかりしていると、メガネを恐れる人と同じことになってしまうかもね。
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