セカンドオピニオンの危険性
究極の選択を迫られたとき、人は心に決めている答えがあると思う。それなのに他人に尋ねる。
なぜなら、自分が選んだ選択の後押しを望んでいるから。
セカンドオピニオンについての記事を読んで、そのことを強く感じた。
気をつけろ! セカンドオピニオンで「間違える人」たちのある共通点
人間心理に深く切り込んだ、興味深い内容だった。
この記事で紹介されている実例がわかりやすい。ある年配の女性がガンになった。一度は手術で寛解したものの再発。そこで担当医は抗がん剤治療を勧めた。
だけどその女性は依然と同じように手術を望んでいた。そこでセカンドオピニオンを受けることにした。そのときの様子を語った夫の言葉が、この女性の心理を的確に表現している。
「8月、セカンドオピニオンの先生に会うなり、妻は『手術を受けたい』と強く訴えました。すると先生は『抗がん剤治療のほうが確実だが、手術もできる』と言うんです。妻はこの一言を聞くために、この先生のところへ来たんだと思いました」
このやり取りのポイントは、セカンドオピニオンの医師も抗がん剤の治療を勧めていること。だけど手術を希望する女性の耳には、医師の発言の後半部分しか届いていない。
結果として手術では取りきれず、抗がん剤治療の期間を逸したことでその女性は亡くなった。これはあくまでも結果論でしかないけれど、もし抗がん剤治療の選択をしていたら、もう少し人生の期間が延びたかもしれない。
この事例は誰にも当てはまるものだと思う。人間は選択を迫られると、ほぼ自分で答えを出している。ただ不安が先立つので、自分の想いを肯定してくれる他人の意見にすがりついてしまう。これは致し方ないことだろう。
この事例だって手術が成功していたら、セカンドオピニオンを受けてよかったという結論になってしまう。自分の意見を通して良かったと、女性もその夫も思うにちがいない。要するに究極の選択を迫られたとき、正解かどうかは結果をみないとわからないということ。
人によっては自分の望んでいる答えを得るため、5〜6人の医師を渡り歩く人もいるそう。結論から言えば、自分の担当医との信頼関係が構築できていないということだろうね。だから答えに迷ってしまう。
ボクならどうするだろう?
実際にその女性の立場になってみないとわからない。だけど想像する範囲では、きっと『まな板の上の鯉』になっているだろうと思う。つまり担当医に任せてしまうということ。
人間に自由意志はない、というボクの信条ゆえのことだと思う。生きるか死ぬかの結果は決まっているので、別の医師に意見を聞くということをやらないような気がするなぁ。だって正解かどうかは、やってみないとわからないんだからね。
と言いつつ、実際にその立場になったらいくつも病院めぐりをしているかもしれない。自分が出している答えを得るためにね。
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