差別は恐怖の裏返し
差別行為に対する意識改革が進んできたことで、少しずつだけれども差別を撤廃しようという動きが活発化している。ボクの子供時代の人間がいまの世界にタイムトリップをしたら、その人にとって普通の言葉や行動が差別やハラスメントとして糾弾されるだろう。
それでも世界的な視点で見れば、信じられないような差別が現存している。特に女性差別は根強く、ボクは昨日ある報道を見て思わず日付を確認した。まるで100年以上も前のことのように思えたから。
記事のタイトルを見ただけで唖然とした。インドネシアの陸軍では、女性新兵が処女かどうかを検査しているだなんて。廃止示唆ということは、現状ではまだ続いているということ。
これは陸軍だけのことではなく、海軍や空軍、そして国家警察の採用にも導入されているらしい。いまの時代にこんなことが行われているなんて……。
当然ながら世界的な人権団体から批判を受けていて、陸軍としてはようやくこの制度を見直すという状況に至った。まだ決定していないので、どうなるかはわからないけれど。とにかくインドネシアの男性には、「ふしだらな女性」は軍務や警察の仕事をするべきではないと考えている人が多いらしい。
ボクの勝手な想像だけれど、スケベ心満載の男性兵士たちが、ヴァージンだと認定された女性兵士を見てニヤついている場面しか想像できない。腹立たしさを通り越して、ひたすら気持ち悪い。
なぜこうした差別はいつまでだっても消えないのだろう? こうした女性差別だけでなく、人種や身体に障碍を持っている人たちに対する差別が後を絶たない。おそらくどんな人にも差別意識はあると思う。こうしてブログを書いているボクだって、差別に関して完全無欠だといいきれる自信はない。
本人に自覚できない小さな差別意識が自己主張をするのは、どんな場合なのだろう。個人にとって事情はちがうし、育った国や地域の文化的、あるいは宗教的な背景においても差があると思う。だから差別が顕現する理由はひとつじゃないだろう。
だけど共通項として感じるのは、『恐怖』というもの。
差別する側の人間の心を支配しているのは『恐怖』のような気がする。自分の現在の立ち位置や既得権益を脅かすかもしれない存在に気づいたとき、事前に叩いておこうとうするのが差別じゃないかな。
女性差別というのは、男性が女性の脅威に対して必死で抵抗している結果だと感じる。男としての優位性を維持するため、女性に対する差別意識を植え付けることで恐怖から逃れようとしているのだろう。
日本における女人禁制も同じことだよね。宗教的な理由にしているだけで、男性が得た権利を手放したくないだけだと思う。奈良県天川村の大峰山が女人禁制の修行場になっているのは、修行することによる利得を女性に奪われないためだとしか思えない。
人種差別だってそうだろう。他の人種に負けることが怖くて、肌の色を理由にして同じ土俵にあげないようにしている。実力差を見せつけられる前に、忌むべき存在として追いやることで排除しようした結果が人種差別だと思う。
とにかくインドネシアの軍隊には驚くしかない。こんなことをしている限り、国際社会から見離されていくだろうね。
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