ガストンとの対話 Vol.47
ガストンさん、今日は「今、ここ」についてお尋ねしたいと思います。時間というのが幻想であることを理解しているつもりです。過去は記憶であり、未来は期待や不安です。過去も未来も「今」を通じてしか認識できない時制ですから、私たちにとって「今」しか存在しないと知ることができますね。
「その理解でいいだろう。人間は始めと終わりが存在する無常の世界に住んでおるから、過去や未来をリアリティとして捉えてしまう。だが、純粋たる過去も未来も経験することはできない。「今」というフィルター無しでは、何も認識できないということだな。ところでお前さんは、何が聞きたいのじゃ?」
その「今、ここ」なのですが、厳密に言えばそれも過去なのではないでしょうか?
「ほう、続けてくれ」
例えば雲を見て、雲の存在を知覚します。肉眼がそれを捉えて脳に信号が到達することで雲を認識するのですが、微妙なタイムラグが存在するはずです。脳が雲を知覚した瞬間、雲は微妙に形を変えているはずです。私たちにとっては同時としか思えませんが、厳密に言えば過去の映像を「今、ここ」だと錯覚しているのではないでしょうか?
「いい観点だな。夜空に輝く星の光が、何光年も昔の姿だと自覚するものは少ない。人間が「今」見ている星が、本当は消滅しているかもしれない。結論から言ってやろう。お前さんの言う通り、人間は「今、ここ」を捉えることはできない!」
やはりそうですよね……。目の前に見えているのに、手を伸ばそうとすれば遠ざかる。追いかけても、追いかけても、その距離が縮まることはない。「今、ここ」にいようと瞑想を続けても、永遠に続く追いかけっこをしている気持ちなのです。
「そこには大きな境界線があるのだよ。その境界線の向こうに、真実の「今、ここ」が存在している。だが人間は、その境界線に触れることさえできない」
いったいどうすればいいのでしょうか?
「ヒントをやろう。ケン・ウィルバーを知っているな。彼は人間には3つの眼があると言っている。「肉体の眼」「心の眼」そして「観想の眼」だ。「肉体の眼」はお前さんが言ったように、常に過去の映像しか脳に届けることはできない。「心の眼」はどのようなものだと思う?」
たしかケンは、それが「自我」だと言っていましたね。ということは、やはりそこには自分と他人という境界線が存在している。「今、ここ」を知るのは無理ですね。あっ、そうか!
「どうやら「観想の眼」が理解できたようだな」
主体と客体が存在しない状態が「観想の眼」なのですね。自他が一体になったとき、真実の「今、ここ」を知ることができるのですね!
「それこそが、その境界線を破る鍵だよ。見られているものが見ているものであること。そこには時空が存在しない。肉眼や自我では理解できない世界だ。本当の「今、ここ」を知るためには、その境界線を越える勇気が必要だ。それは自我が死ぬことだな。禅の世界で言われている「大死」という境地だよ」
「大死」ですね。心に刻み付けておきます。
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