今日の言葉 1月28日
『自分を知る』
自分自身を知らないかぎり、あなたが何をしようと、おそらく瞑想状態に入ることはできないでしょう。「自己知」とは自分の思考や心理状態、言葉や感情を逐一知る、つまり自分の精神の運動を知るという意味であって、真我や大我を知ることではないのです。
よろしいですか、このことを理解することは、真剣な人にとってはとても重要なことなのです。なぜなら、それを理解できなければ、瞑想と実生活が分離され、剥離してしまうからです。両者がとてつもなく広く隔たってしまうので、たとえこれからの余生中ずっと瞑想し、いろいろな姿勢を試みても、鼻より上には視野が開けることはないでしょう。どんな姿勢で瞑想しようと、何を試みようと、それには何の意味もないでしょう。
つまり事実を、現実を、あるがままを観察し、見なければならないということです。もしあなたがそれに対して、記憶の反応である「◯◯してはならない」とか「◯◯しなければならない」などという意見を持って迫れば、あるがままの運動は妨げられ、遮断されてしまいます。ですからそこには何の学びもなくなるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜