今日のウィルバーくん 2.26
前回の続きです。夢のない深い眠りで現前する意識を体験することに困難を感じたウィルバーは、あらゆることにトライします。
禅、ヴァジラヤーナ、ゾクチェン、ヴェーダンダ、超越瞑想、キリスト教神秘主義、カバラ、道教、スーフィー教などです。
もはや瞑想ではなく、迷走です。
しかし最終的に、ある瞑想の修行中に一瞬だけその状態を経験します。そしてさらにその1年後、ようやくそれまでの努力が結実することになります。そのことについて書かれた文章を見てみましょう。
〜以下抜粋。
しかしすべてが結実したのは、その1年後───それは11日間にわたる集中的な瞑想の期間においてであったが、その時、分離した自己が根本的に、完全に死んだように思えた───であった。この11日間、ぼくはまったく眠らなかった。あるいはむしろ、11日間、夜も昼も意識があった。その間、身体も心も起きたきり、眠ったりしていた。
けれどもその変化のなかにあって、ぼくはまったく動かなかった。そこにあるのは、まったく変化しない、空なる意識であった。それは輝く鏡の心であり、目撃されるものと一つとしての「目撃者」であった。ぼくは自分であるものに立ち返った。そして、それ以後、多かれ少なかれ、そのようであった。この定常的な非二元の意識が明白になると、新しい運命が顕現された世界のなかで、目覚めてくる。
(中略)
あなたの小さな心や身体、感情、思考などは、あなたそれ自身である広大な空性の中に生起し、生起するごとにおのずから解放される。なぜなら、あなたは生起するもののいずれとも自分を同一化していないからである。むしろ生起するものをそのまま遊ばせる。そのまま「空性」と開けのなかに解き放つ。
この時、根源的な自由として、あなたは目覚める。輝く解放の歌を歌う。あまりにも明白なものに微笑み、歓喜の海を飲み込む。月はあなたの身体の一部であり、太陽はあなたのハートの光である。永遠に、常に、そして永遠に、常に、これだけなのである
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ワン・テイスト』より。
11日間も眠らなかったのはすごい。世界最強の不眠症ですね!
でもこれは文字どおりの意味ではなく、意識を保ったまま肉体は眠っていた、ということだと思います。ですから夢のない深い眠りの状態でも、意識が存在していたのです。それを眠っていない、という文章で彼は表現したのでしょう。
この文章は素晴らしい。心に響きます。24日の夕方の私のブログで『人生における自由意志の正体』というタイトルの記事を書きました。そこでアジャシャンティの著作の紹介を兼ねて、意識の覚醒した人が口にする「人間に自由意志は存在しない」という言葉のイメージを書いています。
抜粋したこの文章は、まさにそのことを別の角度から語っています。「けれどもその変化のなかにあって、ぼくはまったく動かなかった」という文章に、すべてが表れています。何度も読み返したくなる文章です。
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