今日のウィルバーくん 7.2
「絶対」は世界を創造したのか?
世界は幻影であり、絶対のみがリアルであるのか?
運命と自由意志は同じプロセスの異なった側面であるのか?
心と身体は一つの有機体の異なった側面であるのか?
心は階層的な脳構造のなかから発生したのか?
これらの問いについて、「まったくそうではない」とウィルバーは答えています。この問いに関する彼の言葉を見てみましょう。
〜以下抜粋。
いずれも、何とか答えを出そうと意図する「知的なシンボル」にすぎない。しかし本当の答えは、感覚領域にも知的領域にもない。それは超越的な領域に属するのであり、その領域は、瞑想的な指示を実践した時にのみ、開示される。そこでは、すべての知的な答えは不適切であり、的をはずしているように見える。それらはますます解決不可能なディレンマや難問や矛盾を生み出すだけである。答えは、さらなるおしゃべりにはない。答えは悟りにある。あるいはどのような呼び方であれ、妥当な観想的な意識のなかにしかない。
さらに、たとえ答えを言葉で述べることができたとしても───事実、述べることはできる。禅の老師は、しょっちゅうそれについて語っている───にもかかわらず、それは瞑想の指示を実行した事のない人にとっては何の意味も持たない。それは数学的な訓練を受けたことのない人にとって、数学的な記号が何の意味ももたないのと同じである。
しかし観想の眼を開けば、答えは明白である。それは早春の朝の日ざしの戯れや、水晶のように透明な池と同じように、まちがえようのないものである。
おわかりだろうか? これが答えなのである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『統合心理学への道』より。
悟りに至るための問いについて、どれだけ頭で考えても答えは出ない、ということですね。言葉は二元化していますから、二元化を超越しているものを語ることはできません。ウィルバーが書いているように、頭で考えることは答えを出そうと意図する「知的なシンボル」にすぎないのです。
ウィルバーが言いたいことは、悟りについてどれだけ考えても無駄である。直接的に経験するしか知る方法がない、ということだと思います。たとえ一度でも悟りの意識を垣間見た人なら、禅の老師が語る言葉の意味を、直接的に理解できるということでしょう。理解してみたいですね〜〜!
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