SOLA TODAY Vol.139
現在、日本の自衛隊が南スーダンにPKO派遣されています。昨年から気になってニュースをチェックしていましたが、ほぼ内戦状態となっている南スーダンはかなり危険な状況です。自衛隊員がいつ戦闘に巻き込まれても不思議ではありません。
それでも日本が先進国の一員として発言権を維持していくためには、国際協力を無視することができません。そうなるとPKO5原則を遵守していることを示すため、日本政府は欺瞞を演じるしかありませんでした。南スーダンは問題ないと言い張るしかありません。それはなぜか?
憲法9条があるからです。
そのような日本の国防の現状について、とても興味深い対談を読みました。
<時代の正体>新春スペシャル対談 三浦瑠麗ー倉持麟太郎(上)
国際政治学者の三浦さんと、憲法論議に詳しい弁護士の倉持さんの対談です。事実としては知っている内容ですが、二人の論点がユニークなので一読の価値があると思います。
なぜ現在のPKOが危険なのか?
日本でPKO法案ができた1992年の時点では、憲法9条に抵触する可能性は限りなく少ない状況でした。しかし1994年にPKOが派遣されていたルワンダで、民族大量虐殺が起きます。
PKOの主旨としては、内政には不干渉というものがありました。だから世界中から派遣されたPKOの軍隊は撤退するか、手をこまねいて傍観するしかありませんでした。そのことによって、100日間で100万人近い人が虐殺されています。
これではいかんだろう、という国際世論の高まりで、PKOは『戦うPKO』へと変貌しました。一般市民の命を守るために、武力行使することが容認されているのです。現在の南スーダンの状況は、まさにその民族大虐殺(ジェノサイド)一歩手前なのです。
稲田防衛大臣が、南スーダン派遣について「リスクはない」という発言をしました。それに対して自衛隊の幹部が怒りの声をあげています。リスクがないわけありません。そんな危険な地域に派遣するのなら「交戦権」を与えてくれというのが本音です。
憲法9条が存在する限り、そうした政治的欺瞞を抱えたままで自衛隊を派遣しなくてはなりません。彼らは宙ぶらりんのままで危険地帯に足を踏み入れています。難民や自分たちを守るために発砲するかどうかは、現地の自衛官の判断に任されています。
それはどういうことかといえば、国家も日本政府も責任を取ってくれないということです。責任を問われるのは現地の部隊なのです。そんな気の毒なことがあるでしょうか?
『土漠の花』という月村了衛さんが書かれた小説があります。アフリカに派遣された自衛隊が、現地の内戦に巻き込まれてしまう物語です。わたしはその小説を読んで、心底恐怖で震えました。とてもフィクションだとは思えない内容です。その小説のようなことが本当に起きるかもしれません。
日本の憲法で軍隊を持たない、戦争をしないと、なぜ規定されたかご存知ですか? それは第二次世界大戦における戦争犯罪国として有罪判決を受けたためです。日本という国はまた戦争を起こすかもしれない。だから罰として、軍隊を持たせないというものです。『平和憲法』という概念は後付けされたものです。
第一次世界大戦後のドイツも同じような状況におかれました。さらに莫大な賠償金を課せられたことで国民の不満が募り、ヒトラーのナチス党を生み出したのです。子供に火遊びをさせないために、ライターを取り上げたようなものです。
もしどうしても憲法9条を死守するというのなら、即刻自衛隊をPKOから撤退させるべきです。でも本気で紛争地における国際貢献をしようと考えるのならば、憲法改正をしなくてはいけません。今のような中途半端な状況が要因となって、自衛隊員を死なせるような事態が起きるかもしれないからです。
まもなくアメリカではトランプ氏が大統領に就任します。米軍の基地に対して負担を増額しないと撤退する、と言っているのは本気だと思います。もしそれを拒否したら、日本は自力で国を守らなくてはいけません。
でも軍隊を持ってはいけない日本はどうするのでしょうか? 現状の曖昧模糊とした欺瞞を継続していくのでしょうか?
中国は相変わらず国境付近で挑発を繰り返しています。日本が現状の社会を守っていこうとするのならば、本当に戦争のない平和を望むのなら、憲法について真剣に考える時期が来ていると思います。とにかく今のままでは自衛隊の人たちが気の毒過ぎます。言葉や概念だけで人の命を守れるほど、人間の意識は進化していないと思います。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。