SOLA TODAY Vol.595
昨日、財務省の福田事務次官の会見をテレビで見た。あのしどろもどろな饒舌を見ているだけで、何かを隠していると思われてしまうよねw
だけどそれが事実かどうかはわからない。それはあくまでも、ボクが感じた『印象』でしかない。
さらに深夜になって、セクハラを受けた女性記者がテレビ朝日の社員であることがわかり、テレビ朝日が会見をしている。その要旨をざっと読んだが、これまたなんらかの『印象』を持ってしまう。
女性記者はセクハラを受けて、上司に訴えたが聞き入れてもらえなかった。それで週刊誌に暴露したとのこと。大企業の事なかれ主義やセクハラに対する無知が、『印象』として感じられる。
さらにこの女性記者にも疑問が出てくる。正式な取材をするのに、何度も1対1で食事をするのだろうか? それも事務次官に対して堂々とヴォイスレコーダーを使用するのではなく、こっそりと使うなんて……。よからぬ意図が最初からあったのでは、という『印象』が残る。
まぁ、もしハニートラップだとしても、引っかかった段階で事務次官としてはアウトだろうけれどね。だけど政局の停滞を考えると、事務次官だけを責めていいものかと思ってしまう。
何が言いたいかといえば、人間は『印象』に振り回されているということ。事実関係が明確でないことに対して、テレビやネットでの報道を鵜呑みにしてしまう。そしてその『印象』だけで他人を批判してしまう。
そうならないために、どうすればいいのか? そのヒントになる、とてもユニークな記事を見つけた。
印象だけでモノを言うオジサンにならない為にも、私達は本を読まなくてはならない
この記事の著者は、ある性風俗に対して偏見を持っていた。だけどその内情を紹介した本を読むことで、大きく考えが変わったという経験を書いている。つまり本を読むことで、印象操作の影響を受けにくくなるということ。
『僕は本を読む最大のメリットは、活字を通して知識を誤りの少ない形で追体験できるという事にあると思っている』と著者は述べている。ボクもそのとおりだと思う。
さらに、居酒屋でくだを巻いているサラリーマンに対して、
『つまり彼等のような居酒屋でぐだを巻いている人は、マスコミや新聞により作られた印象でしか物事を判断していない。これは実のところ非常に深刻な事で、つまるところ”正しく”相手の事を知らないと、私達は簡単に印象操作されてしまい、他人に都合のよい形で利用されてしまいがちなのだ』と述べている。
そして、『こうして、自分の知らない外側の世界についての知識を得ることで、自分の思い込みで判断を行う事がどれだけ馬鹿げているかや、キチンと知らない事について知ったかぶりで言及することがいかに愚かな事であるかという事が初めて理解できる』と結んでいる。
まさに正論だよね。なんとなくの『印象』だけで判断をして、さも事実を知ったかのようにふるまってしまうことは多い。自分のことを省みても、そういうことがあったなぁ、と思う。
ただボクが思うのは、本だって印象操作に使われているということ。ある事実について書かれた本が、唯一の真実ではない。それはその著者のフィルターを通して見た世界でしかない。その人物がどれだけの権威者であろうと、あくまでも『これは個人の感想です』ということ。
もっとも大切なことは、『人間は自分の信じることしか受け入れない』ということを自覚することだと思う。どれだけ情報を浴びても、自分の信念や信条に反するものは無視してしまう。そして自分が信じることだけを、本の中から抜き出してしまう。
このことを自覚しない限り、どれだけ本を読んでも同じだと思う。ボクが今までスルーしていたジャンルの映画を観たり本を読むのは、積み重ねてしまった先入観をできる限り排除するため。意識的に接触しない限り、遠ざけている世界を知ることはできない。
せっかく生まれてきたのだから、いろんな世界を知りたいと思う。それを疑似体験させてくれるのが、本や映画というコンテンツだろう。『印象』だけで知ったかぶりをするより、謙虚になって未知の世界へ飛び込みたいと思っている。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
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