SOLA TODAY Vol.859
新井浩文さん、やっちゃったよなぁ。彼の起こした強制性交事件が大きな議論を引き起こしている。
新井浩文容疑者逮捕 NHK「真田丸」など10番組の新規配信停止
その議論は、新井さんの犯罪行為についてではない。もし容疑が事実だとすれば、とんでもない野郎なのは議論の余地がない。
ここ数日ネットが騒然としているのは、この記事にある番組の配信停止や映画の公開延期に関すること。賛否両論が飛び交っているが、どちらの意見も説得力がある。そこでボクも考えてみた。
結論から言えば、ボクはコンテンツの配信停止や公開延期に反対。被害者の気持ちを思うと複雑だけれど、経済的な部分、そして心情的な部分でも予定どおり公開するべきだと思う。
経済的な部分に関して言えば、映画やドラマを完成させるのにかかった費用をドブに捨てることになってしまう。経済というのは投資をして回収するのが自然な流れ。ドラマや映画は最初の公開時だけでなく、その後のDVDやネット配信の収入も計算に入れて予算が組まれる。
なのに出演者の一人が起こした事件によって、それらのすべてが無駄になるなんて非合理すぎる。ドキュメントじゃないんだから、フィクションとして制作された作品と、現実の出来事を分離して考えるべきだと思う。
心情的には言葉がいくつあっても足りない。ドラマや映画には原作があったり、それを脚色する脚本家の人もいる。出演する俳優さんだけでなく、数え切れない人たちの労力が結集されている。それらが水の泡になるなんて耐えらえない。
関係者のなかには、そのドラマに人生を賭けていた人もいるはず。自分の書いた作品がドラマになった人や、ようやくセリフのある役をもらえた俳優さん等、大勢の人の夢がそこに託されている。そんなものを一瞬で吹き飛ばすなんて、あまりに理不尽で悲しすぎる。
こんなことが普通になってしまえば、怖くて映画やドラマが作れなくなる。プロデューサーとすれば、もし何かあっても責任を取ってくれそうな大手の芸能事務所の俳優さんでないと使えない。それだけで未来のスターを損失してしまうことになると思う。
芸能事務所だって、リスクを考えたら恐ろしすぎる。人間なんだからまちがいを起こすことはあるだろう。だけどそれは個人の責任であって、作品にまで責任を負わせるのはやりすぎだと思う。
NHKや映画の配給会社が怖がっているのは、犯罪に対する一般の声なんだろうね。いまはネットで罵詈雑言が飛び交うから、罪を犯した人を起用した番組や映画の放送を自粛してしまう。スポンサーが恐れているものも同じだろう。
そりゃ被害者の家族や親しい人にすれば、そんなドラマや映画が放映されているだけでムカつくと思う。同じような犯罪にあった人が、怒りの声をあげるのも無理はない。だけどコンテンツと出演者というのは、やはり切り離して考えるべきだと思う。
作品そのものが犯罪を助長するようなものなら困る。でも出演者の犯罪だけが配信停止の理由なら、日本の文化の衰退を招いてしまうだけ。企業のCM自粛ならまだ理解できるけれど、ドラマや映画というコンテンツを消滅させるようなことはやらないでほしい。
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