特別視する能力じゃないよね
我が家のミューナは表情豊かな猫。13年半も一緒にいると顔を見ただけで彼の言いたいことがわかる。厳密に言えばわかるような気がするなんだけれど、その後の彼の態度を見ていたら、当たらずとも遠からずだと感じている。
そんな猫の気持ちがわかる人を『キャットウィスパラー』というらしい。
カナダの行動生物学者の男性は2匹の猫を飼っている。ペットシッターから送られてきた猫たちの写真を見ただけで、彼らの機嫌が悪いとか不安を感じているかがわかるそう。この学者の妻も同じらしい。
それでこの学者が研究を進めて、『キャットウィスパラー』が実在するということを証明したという記事。明らかに怒っているというような映像を省き、比較的普通に見える写真を見せて実験した。そうすると一定数の割合で、猫の感情を読み取れる人がいるという結果が出ている。
ボクが興味を持ったのは、猫を飼っていない人でもその能力を見せた人があったということ。そういう人が猫と暮らせば、きっと猫生活にハマってしまうだろうねwww
ただボクはこの記事を読んで、妙な違和感を覚えた。動物の気持ちがわかるなんて普通のことだと思うから。そんなもの特別な能力じゃない。猫だけじゃなく犬だって、表情やしぐさで彼らの感情を感じ取れるはず。
そもそもこの実験って、どうやって証明するのだろう? だって猫は話せないんだよ。ある写真を見て機嫌が悪いと答えたとして、それが正解かどうかをたしかめる方法がない。その猫と暮らしている人の主観でしかないはず。
「オレ様は機嫌が悪いんだなニャー」と言ってくれたらわかるけれどねwww
動物と暮らすということは、相手の心を読み取ろうとする日々の連続。言葉を話せない犬や猫たちが、どんな気持ちでいるかを想像しようとするのは飼い主の本能であり、責任でもある。お腹がすいていないか、喉が乾いていないか、どこか痛みがないか等を常にリサーチしている。
だから経験を重ねることで、表情だけでどうして欲しいかがわかるような『気』がする。もし外れても、それをフィードバックすることでより彼らの本音に近づけるようになる。それがペットと飼い主との『絆』だと思う。
これは動物だけじゃないよ。相手が人間であっても、表情やしぐさから感情を読み取ろうとする能力は必要だと思う。辛くても「辛い」と言えない人がいるだろうし、本心を語らない人もいるはず。だから人間には『想像力』が与えられているんだと思う。
動物の写真を見て彼らの機嫌がわかると思い込み、それを『キャットウィスパラー』と名付けているなんて自己満足にしか思えないなぁ。
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