古典芸能を楽しむ方法
京都出身の利点というものがある。おそらくボクのように京都で生まれ育った人は実感していると思う。
まずは学校で習う日本史が身近に感じるということ。なぜなら馴染みのある地名が頻出するので、より具体的なイメージを持ちやすいから。京都は長いあいだ都があったことで、常に歴史の舞台として登場する。
もうひとつは古典芸能が身近にあるということ。歌舞伎発祥の地である南座は現役だし、複数の能楽堂があるので能や狂言という古典芸能に触れることが多い。小学校の社会見学で能楽堂に行けるのは、京都ならではのことだと思う。
そのうえボクは社会人になって祇園の芸舞妓事務所で働いたことで、さらに深く古典芸能に関わるようになった。ボクが働いていた祇園甲部は京舞井上流が伝えられている。常に職場の歌舞練場で舞の会が行われるし、在職中には東京の国立劇場での京舞公演にも立ち会ったことがある。
井上流の特徴として能の影響がある。歴代の家元が能楽師と婚姻関係を持ったこともあり、京舞には能の要素が取り込まれている。それゆえ祇園町でも能楽に対する関心が深い。その影響で、ボクは一時期大鼓(おおかわ)を習ったことがある。
現役の能楽師のお師匠さんが、お茶屋さんの座敷を借りて指導されていた。それでボクも興味を持って大鼓を習った。一度限りだけれど、発表会にも出たことがある。ただボクは謡曲の素養がまったくなかったので、大鼓の演奏をするのにかなり苦労した。
能というのは物語になっている。だからそのストーリーわかっていないと、その楽曲が持っている世界を表現できない。といってもなかなか奥が深く、敷居が高い。謡曲を習って普段から歌っている人、あるいは能が好きで能楽堂に通っているような人でないとなじめないだろうと思う。
ところがある本を読んで、こんな形で古典芸能に接する方法があるのを知った。
『能楽ものがたり 稚児桜』澤田瞳子 著という小説。
これは能楽の題材からインスパイアされた物語を集めた短編集。何気なく読み始めたけれど、面白くてあっという間に読了してしまった。短編のタイトルと、元になった能楽のタイトルを紹介しておこう。
やま巡り=山姥
小狐の剣=小鍛冶
稚児桜=花月
鮎=国栖
漁師とその妻=善知鳥
大臣の娘=雲雀山
秋の扉=班女
照日の鏡=葵上
というようなラインナップ。どの物語もよくできていて、感動したり怖かったり泣いたりした。能楽そのものが物語になっているのではなく、著者によって大きく脚色されたものだと思う。
だけど難しい印象のある能楽の世界が、この物語を読むことでグッと身近な世界に感じる。おそらくこの本を読んだあと能楽の舞台を見たら、その世界観が少しは理解できるはず。それをきっかけにして古典芸能に親しめるだろうと思う。
たとえばタイトルになっている『稚児桜』なんか、感動でジンとした。稚児というのは清水寺で僧侶のなぐさみものになっている少年たち。つまり男色の相手。
花月という名の少年は僧侶に人気の美少年。だけどある日、彼の父親が迎えにきた。捨てたことを苦にして、もう一度息子と暮らそうとした。ところが同じ歳で僧侶にまったく好かれない少年がいる。声変わりして大人になれば、稚児たちは捨てられる。
そこで花月は、自分の代わりにその少年を父親に差し出した。父親はどうせどちらが本当の息子なのかわからないから。自分なら寺を放り出されても生きていける。だけどその少年は路頭に迷うだろう。だからわざと息子の名乗りを上げなかった。本当に素敵な話だったなぁ。
この本を読んで、久しぶりに能楽堂に行きたくなった。もしこの小説に使われた作品がテレビで放送されていたら、登場人物たちを思い出して鑑賞しようと思う。
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