死ぬ時の後悔は2種類ある
昨日に引き続き、過去のThreadsで投稿した『夢体脱日記』を今日もアップしている。もちろん今日の分の体験もThreadsに投稿済み。今日の明晰夢は久しぶりのレトリーバル体験だった。
さて、ある本を読んで、死ぬ瞬間の後悔について考えてみた。
2023年 読書#72
『死ぬ瞬間の5つの後悔』ブロニー・ウェア著という本。著者はある時期、終末期を迎える人の介護を仕事にしていた。その時の体験を綴った書籍で、死を迎えた人の語っていることが分かりやすくまとめられている。タイトルにある5つの後悔を抜き出してみよう。
(1)自分に正直な人生を生きればよかった
(2)働きすぎなければよかった
(3)思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
(4)友人と連絡を取り続ければよかった
(5)幸せをあきらめなければよかった
抽象的な内容なので、具体的なことはイメージしにくいかも。本書を読めば、著者が伝えたいことはわかる。つまり著者の意図としては、死の瞬間を迎えた時に少しでも後悔することがないよう、これらのことを見直してみよう、ということなんだろう。
でもボクは思う。どれだけ頑張っても、結局は後悔すると思う。どんなことにも二面性があって、それらはトレードオフの関係になっている。だからどちらの道を選んでも、結局は後悔することになる。むしろ後悔のない人生なんてあり得ないと思う。
ただ後悔には2種類ある。失敗を覚悟して精一杯やったうえでの後悔と、失敗を恐れてやりたいことをやらなかったことによる後悔。
どちらも後悔するのは同じ。だけどボクとしては、後者の後悔はキツい。だから死の瞬間を迎えて後悔するとしても、攻めて、攻めて、攻めてという結果としての後悔なら受容できると思う。
だけどもっと避けるべき後悔がある。これは誰もがやらかしてしまう可能性が高い。
それは、『もっと早くから死について向き合っていればよかった』という後悔。
この著書の5つの後悔は、全てこの後悔に基づいている。自分はいつか死ぬ、ということを人間はわかっているのに考えないようにしている。この本に登場する人たちは、少なくとも後悔しつつもそのことを考えることができた。
でも不慮の事故で死んだり、事件に巻き込まれて命を落とす人は、人生をふり返る時間さえ持てない。ボクが明日生きている保証はない。そのことを本気で考えないと、最も辛い後悔に苦しむことになる。『死』について本気で考えることは、決してタブーじゃない。むしろ人間にとって必須事項だと思う。
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