今日の言葉 10月10日
『選択なき気づき』
真実在(リアリティー)の何たるかを知覚できるのは、純粋無垢なる精神、経験に曇らされていない精神、過去から完全に解放されている精神だけです。このことの真理を見るならば、ほんの一瞬でもそれを知覚するならば、あなたは無垢なる精神のとてつもない清澄さを知ることでしょう。それは記憶という外皮を全て剥ぎ落とすという意味であり、つまり過去を捨て去るということです。
私たちが悲しみと呼んでいるものの終焉の種子は始まりにあるのです。悲しみの終焉は、悲しみそれ自体において起こるのであり、悲しみから離れて起こるものではありません。悲しみから離れることは、単に答え、逃げ道を見つけることにしかすぎず、悲しみは続きます。
その一方で、悲しみに全き注意を払うと、つまり全身全霊を傾けて悲しみに注意を向けると、その時、即座の知覚が起こるのがお分かりになるでしょう。そしてその知覚には時間が全く関係しておらず、何の努力も葛藤もありません。そして悲しみに終止符を打つのは、この即座の知覚、この選択なき気づきであるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜