SOLA TODAY Vol.277
異常という言葉の定義はなんだろう? 普通じゃないこと、と答える人が多いかもしれない。
では普通の定義は?
それは無意識化の多数決で定められたもの、つまりマジョリティーであることを指しているだけではないだろうか?
そんなことを考えさせられる記事を読んだ。
自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 〜実は障害ではない!
自閉症という障害がある。だけど障害という言葉は一般的に植え付けられた概念であって、実は生物としてのバリエーションではないだろうか、というのがこの記事の主旨。
ニューロダイバーシテイ(脳多様性)というものを説明している。
自閉症スペクトルという言葉で定義されている実態は以下のような状態をいうらしい。
・対人関係、とりわけコミュニケーションが不得手。
・興味・関心の幅が著しく限られていたり、こだわりは激しい。
遺伝的要因で発症するというのが定説らしいけれど、発症率は少なく見積もっても1〜2%で、他の遺伝的障害に比べて圧倒的に高い。もし障害だとするならば遺伝的に淘汰されるはずなのに、この数値の高さは存在意義があるからではないか、というのが自閉症を見直すきっかけになったとのこと。
この記事によると、「ウォーリーを探せ」という、無数の人物からひとりだけ他と異なる人を見つけるゲームをやった場合、自閉症の子供たちは著しく成績が悪い。
ところがトンボが大量に描かれているなかから、クモを見つけるというゲームをやらせると、自閉症の子供のほうが圧倒的に早い。あるいは人間の表情を見極めて判断するというのは苦手でも、チョウをたくさん採集してきて、そこから羽の模様のわずかなちがいによって分類する作業をさせると、ものすごい能力を見せる。
人類が繁栄していく過程において、自閉症と定義される能力は必要なものなのではないか? という予測に基づいて研究されている。
ニホンザルの群れの場合、集団外の脅威にもっぱら注意を払うサルと、仲間同士の社会的交流の調整にエネルギーを注ぐサルがいて、しかもどちらの役割をはたすかは遺伝的にきまっている。
自閉症というのは、人間におけるこうした遺伝的必然性に基づいているのでは?
自閉症の人は、音に敏感だったり、特定の色彩に強く反応するらしい。少数派のマイノリティーではあるけれども、多数派の人間が知覚できないものを捉えているのはたしか。そこにはまだ人類には明らかにされていない、重要な意味があるのかも、とボクは感じた。
ニューロダイバーシテイというのは、自閉症を病気ではなく、人類にとって必然的な多様性として研究を進めていく手法とのこと。近年ではそういう視点から自閉症に対する調査が進んでいる。
少数派であるから異常という発想は、とても危険なものだと感じた。ボクたちにとって必要なものを、失ってしまうことになりかねない。これからの時代は、多様性が認知される時代になるはず。
どんなことにも意味があって、必要があるから存在している。多数決によって物事を判断してしまうと、その必要性から遠ざかることになるだろうね。新しい世界観を提供してくれる、素晴らしい記事だった。
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