SOLA TODAY Vol.788
LGBTの人たちに対する理解は、ここ数年で幅広い世代に浸透しつつある。先日『ボヘミアン・ラプソディ』というクイーンの映画を観たけれど、まだあの時代は同性愛者に対する偏見が強く、ヴォーカルのフレディ・マーキュリーの苦悩に心が痛んだ。
ただ認知されつつあると言っても、本当の想いは当事者しかわからないだろう。同性愛者の人が普段からどのような気持ちで過ごしているか、ボクには想像するしかない。
だけどこの記事を読んで、人を想う気持ちはまったく同じだと感じさせてもらえた。
この記事の著者はゲイであることをカミングアウトしているけれど、それは最近になってのこと。中学生になって自分の気持ちに気づいたが、高校生のころまで誰にも心の内を明かさなかった。
中学1年生のとき、ある男子生徒に一目惚れする。どうにかして近づきたいと思い、彼が選択したのは親友になることだった。必死で勉強して自分を高め、相手に友人として認めてもらえるように努力した。
その結果、親友となることができ、同じ高校に行こうとまで言われる。そして高校では同じクラスになることもあった。もちろん相手に自分の本心は告げていない。あくまでも同性の親友として付き合い、自分の恋心は隠していた。
だからそんな相手は、好きになった女性のことを相談してくる。それはとても辛い体験だったらしい。そりゃそうだろうね。よく映画であるシチュエーションだけれど、好きな異性から他人に対する恋の相談を受けるのと同じ。切ないよなぁ。
著者がゲイであることを隠し通したのは、カミングアウトすることで自分のことをありのままに認めてもらえないから。「僕だから」ではなく、「同性愛者」だからという理由で嫌われてしまう。それが耐えられなかったそう。
だったら親友に対する恋心に対して、彼はどのように向き合ったのだろうか?
『たとえ恋人になれなくても、確かに芽生えた自分の気持ちを噛み締めて、相手の幸せを近くで見守ることだって『恋』と呼べるのはないか』と思ったらしい。これって究極的な愛の形だよね。読んでいて泣けてきた。
他人を想う気持ちは同じなのに、同性だというだけで自分を偽らなくてはならない。その辛さは、本人にしかわからないだろう。
この記事を読んで思った。人間にとって大切なのは、たとえ理解できなくても相手の心に歩み寄ろうとする想像力だろう。誰もがこの想像力を持つことができたなら、もっと住みやすい世の中になるはず。
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