SOLA TODAY Vol.950
お酒を飲む予定がある今日に書くのもなんだけれど、ボクは本当にお酒を飲まなくなった。平均すると月に1度もない。年間でお酒を飲む回数は、おそらく両手で数えてもまだあまりがあるだろう。
それに比例するかのように飲酒量も少ない。飲んだとしても350ccの缶ビールが1本程度。ワインだと年に1〜2度はデカンタで飲むことがあっても、大抵はグラスワイン1杯程度になった。
お酒が飲めない体質じゃない。むしろ飲んでも普段の様子とさほど変わらないので『ザル』と呼ばれていたくらい。お酒を飲まなくなったきっかけは、おそらく読書だと思う。
就寝前の2時間を読書にあてることにした。これは自分のインプット量を増やすため。できるだけ頭をクリアにして本を読みたいので、必然的にアルコールを摂取しなくなった。それがなんとなく習慣になっているうち、年間を通じてお酒を飲む日が10回以下になったということ。
そんな風潮が、どうも世界的な傾向になっているらしい。それぞれの人に理由はあるだろうけれど、禁酒が大流行中とのこと。
飲酒はもうクールじゃない? 「飲まない」生き方を選んだ人たちの禁酒白書
お酒というのは、過ぎれば依存症になる。ボクが初めて強度の依存症の人を見たのは20代のころ。父親の会社で働いているときで、消防設備の工事や点検の仕事をしていた。ある現場で会った高齢の電気工事士が、完璧なアル中だった。
お酒が切れてくると、脚立の上で身体や手が震えて仕事にならない。ドライバーがゆらゆらと波打つのでネジが締められない。だけどカップ酒をクイッと飲み干すと、シャキンとして作業が進捗する。お酒がないと生きてけない人だった。
ボクの父親も1年365日は飲んでいる人だった。依存症ではないけれど、禁酒なんて考えもしなかっただろう。ボクの世代から上の人たちは、それが普通の感覚なんだと思う。体質的にお酒が飲めない人以外は、晩酌が当然のことだったんだろう。
でもこの記事によると、若い世代を中心にしてお酒を飲まない人が増えているそう。飲めないのではなく、飲まないという選択をしている。たしかに健康のことを考えると、少ない飲酒量でもなんらかの悪影響がある。度が過ぎれば、確実に身体をむしばむ。
だから会食の席で、飲まない権利を認めるよう訴える人が増えているんだろう。オジサン世代はお酒の席でコミュニケーションを取ろうとするから、若い人たちがそんなことを言い出すと眉をひそめる。でもそんな時代だということ。
酒を飲まない人の言い分は、いまのボクならよくわかる。1日という限られた時間を考えると、できる限り有効活用したい。アルコールを生活から遠ざけたいと思う人の気持ちは実感として理解できる。
でも過去にさんざん飲んできたから、お酒を飲む人の気持ちにも共感できる。気心の知れた人と飲むお酒は本当に楽しい。同じものを食べ、酒を酌み交わすことで親交が深まるのは事実。
だからどちらでもいいと思えることが大切なんだと思う。多様性の認知とはそういうもの。飲む人も飲まない人も、相手を非難するようなことだけはやめるべき。禁酒ブームはいいけれど、変な方向に行かなければいいなと思う。
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