思い出の場所は心にある
京都で生まれ、40代まで京都で過ごしたボクにとって、ちょっとショッキングなニュースが目に入った。
京都の玄関口といえば京都駅だけれど、繁華街の中心はそこから少し離れた四条河原町になる。
その四条河原町のニュースに、どことなく寂しさを感じた。
マルイ撤退、好立地なのになぜ? 京都・四条河原町、買い物客・観光客多いのに
ボクが京都にいた10年前の四条河原町といえば、南西の角に高島屋、南東の角に阪急百貨店がにらみあっていた。それがボクにとっては当たり前の風景だった。
ところが2011年に阪急百貫店が撤退。この出来事はかなりショックだったけれど、そのあとにマルイが入った。だけどそのマルイも、来年の5月に撤退を決めたというニュース。
近隣には高島屋だけでなく、河原町OPAや京都BAL等がある。競争が厳しいので、思ったより売上が伸びなかったそう。ネットショッピング等の影響で、小売店が苦戦している影響もあるだろうね。
阪急百貫店があったビルは、ボクにとって思い出深い場所。待ち合わせの場所としても有名。7階と8階にレストラン街があり、結婚前も結婚後も、数えきれないほどそこで妻と食事をしている。
クリスマスの夜の午前0時近くに阪急百貫店の前でタクシーを待っていると、大きなクリスマスリースが取り外されて、お正月の飾りに変わっていくのをながめていたことがある。そんな思い出の場所がさびれていくのは、どことなくショックで悲しい。
7階と8階のレストラン街は残るそうだけれど、それ以外の店舗については後継が決まっていないらしい。地元の商店街の人たちにとっては集客の要だったから、かなり不安なことだろうと思う。
マルイに変わってもショックだったのに、再びちがう店になったらボクの知っている四条河原町ではなくなってしまいそう。この記事には、ボクが少年から青年時代を過ごした京都の山科についても書かれていた。
JR山科駅に隣接して大丸が立っていた。それが今年の3月で閉店したそう。ボクの知っている山科駅前は、その大丸が異質に思えるほど過去の景色。なのにその大丸でさえ閉店してしまうなんて、もう完全にボクとの縁が切れてしまったような気がしている。
理由はどうであれ、街の景色というのは変わっていくもの。そしてなじみにしていた店だって、いつまでもあるわけじゃない。思い出を求めてその地を尋ねても、そのかけらを探すのさえ難しいのかもしれないね。
要するに思い出の保管場所は、それぞれの人の心のなかだということ。そこは時間が止まり、その時空に存在していた輝きがそのまま残されている。
ボクの知っている四条河原町も、山科駅前も、目を閉じればいつでも心のなかでよみがえる。それでいいんだと思う。変化を受け入れるというのは、そういうことなんだろう。
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