予言者が見たもの
一日中どんよりした神戸の空ですが、涼しいので読書がはかどっています。蝉には寒いのではと心配する気温ですが、元気に鳴き声を聞かせてくれています。鳴き始めの頃はクマゼミが主流でしたが、最近はミンミンゼミの声が目立ってきました。もうすぐツクツクボウシも鳴き出すでしょうね。
向日葵のつぼみですが、何だか可愛くて写真を撮ってしまいました。話しかけられているような気がしますね。
新しい物語に向けて勉強中ですが、避ける事のできないテーマに「呪術」があります。特に日本の古代史に関する呪術を勉強しています。その古代史そのものを物語にするのではなく、エッセンスを抜き出してファンタジー化できればと思っています。
呪術という文字だけを見ると、恐ろしげな印象を感じますね。確かに言葉の通り、呪いを意図するものが多く見られます。生きている相手を呪うものが基本ですが、酷い場合は死んだ人物に対する執拗な呪いも存在しています。
ところが呪術という言葉にはもっと広い意味があります。ちょっとした「ゲンカツギ」のようなものから、新しい都(みやこ)を制定する場合の風水的なものも含まれます。幸せを願う意味でも呪術は用いられてきました。
特に日本の古代史の時代では、そうした呪術が多用されています。中国から伝来した陰陽五行等ですね。現代の星占いのように、星の動きを読み取ることもされていたようです。私が勉強しているのは、そうした広い意味での呪術です。海外のものにも幅を広げて調べようと思っています。
どちらにしても共通して言えるのは、ある特定の人間の狭い視野での願いだということです。個人の権力の維持や野望に基づいたものがほとんどで、万民のための祈りなどは形式的なものでしかありません。最終的には個人の欲望なのですよね〜!だからこそ、人間的で面白いのかもしれません
つまり人間の視野なんて、個人の観念に特定した狭いものだと言えます。世界のほんの一部しか見えていないのに、その全てを見たように感じるのが人間です。そんなことを考えていて、ちょっと想像してみました。
よく予言者と言われる人が人類の終末の予言をしていますね。もし何百年も前の人物が、本当に未来を見る能力があったと仮定します。
その予言者が、先日私が観た「ゴジラ」の映画をビジョンで観たらどうなるのでしょう?
その予言者が、今日のニュースで報道されている、大雨や台風、中国の地震、火山の噴火等が同時に起きているニュースを見たらどうなるのでしょう?
「あぁ、私は世界の終わり、人類の終わりを見た!」と豪語するかもしれませんね〜
つまり一人の人間が見たものは、そのひと個人の主観的要素の一部分だということです。ある意味事実かもしれませんが、その判断が正しいかどうかはわかりません。他人の意見を鵜呑みすることなく、自分で考えて検証することが大切ですね〜!
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