命の尊さを知る瞬間
神戸は昨晩から涼しくて、もう秋になったのかと錯覚しそうな気温でした。布団で横になって何か考えようとしても、あっという間に寝てしまうほどの気持ちよさでした〜
曇り空で時おり小雨が降っていますが、昼間も涼しいので集中してインプットの時間を取れそうです。太平洋高気圧君、もうこのまま神戸まで来なくていいよ〜〜!
昨日の散歩で撮影した写真ですが、命の輝きをストレートに感じる美しさですね。植物でも動物でも、それぞれの命が持つ尊さを感じることのできる自分でいたいと思っています。
でも先日女子高生が同じ女子高生の命を奪うという、恐ろしい事件がありました。かなり猟奇的な事件ですが、加害者の心の闇は深く、その光への遠い道のりに悲しみを感じています。
このような事件がある度、学校関係者から「生徒たちに命の大切さを教えたいと思います」という言葉が出てきます。しかしお題目のようにこの言葉を唱えても、画一的な学校教育の場で命の尊さを教えることができるとは思えません。
ひとりひとりの人間の感受性に違いがあり、置かれている環境も同じではありません。単なる道徳的概念で命の重さを教えるなんてナンセンスです。命の尊さを知る瞬間は、それぞれの人にとって主観的体験として起きるものだと思います。
私は小学生の低学年の頃、友人たちと近くの川で釣りをして遊んでいました。ある日、私の釣り上げた小さな魚が針を飲み込んでしまったのです。その針を取り出そうと必死になっている私の手の中で、その魚はもがきながら息絶えていきました。
これは私にとって今でも衝撃的な出来事です。それ以来、二度と釣りをすることがなくなりました。自分の行動に対する恐怖と、その結果に心が凍り付いてしまったのです。そしてそれは、私にとって命の尊さを知る瞬間でもありました。
釣りを否定しているのではないですからね〜!私が言いたいのは、命の大切さを知る瞬間には個人差があるということです。同じ体験をしても何も感じない人もいるはずです。それは何も悪い事でなく、その人はその人で違った経緯で命の大切さを実感するのだと思います。
もし私に子供がいるのなら、その子が最も喜ぶ動物を飼ってやりたいと思います。そして自分の子供とその動物との間に、かけがえのない友情が芽生えるように精一杯力を注いであげようと思います。言葉で命の大切さを教えるのでなく、ふたりの友情を育てることだけに神経を注ぐのです。それだけでいいと思います。
やがて別れがきます。その動物への愛と友情が深ければ深いほど、その子供は悲しみに打ちのめされるでしょう。かけがえのない友人を失った心の苦痛を抱えるかもしれません。しかしそれと同時に、命の尊さを知る瞬間を感じてもらえると思うのです。
命の尊さは、言葉では理解できません。自分の体験で知る事が必要だと思います。そうした命へのリスペクトが、子供だけでなく大人にも広がっていくことを願っています。まずは大人たちが、中東のガザで起きているような出来事をやめなければいけませんね。
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。