今日の言葉 6月12日
『完璧なる注意』
注意とはどういう意味でしょうか? 無理やり注意を払っている時、注意は存在するでしょうか? 自分で自分に「注意を払わなければいけない。精神をコントロールして、注意に専念するという思い以外の全ての思いを追い出さなければならない」と言う時、あなたはそれを注意と呼びますか? 明らかに、それは注意とは言えません。
何かを全体的に理解するには、それに全き注意を払わねばなりません。しかしそれがいかに途方もなく難しいことであるかが、あなたにもすぐに分かることでしょう。あたなの精神は常日頃注意散漫であるからです。そこであなたは言います。「やれやれ! 注意を払うのはいいですが、そのためにはどうしたらいいのですか?」と。つまりあなたは何かを得たいという欲望を携えて、元に戻ってきてしまったわけです。
例えば、一本の木や一羽の鳥を見ている時、全き注意を払うというのは、「これはオークだ」とか「これはオウムだ」と言って、通り過ぎることではないのです。名前を付けた時には、既に注意を払うのを止めてしまっているのです。ところが何かを見つめる時、全体的に意識しているならば、あるいは全体に注意を払っているならば、その時、全き変容が起こるのがお分かりになるでしょう。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜