やっぱり、理解できない
日なたを歩くと少し暑いのですが、空気はカラッとしているので木陰にいると気持ちのいい気候です。
午前中に家を出た時は、こんな青空でした。6月に入って一週間近くなりまして、散歩しているとやはり紫陽花が目に付きます。
プラプラ歩くだけでこんな花を見せてもらえるのですから、ありがたいですね。お世話されている方は大変だと思います。
今日も帰りはバスに乗りました。ところがバス停は長蛇の列。土日は六甲ケーブルに向かう人が多いのですが、それにしても異常な人の多さです。臨時バスが何台も走っていますが、あっという間に満員。
どうやら神戸大学が電気工事士の資格試験の会場になっていたようで、受験される方が乗り合わせたようです。大学の最寄りのバス停に着いた時、最後の人が降りるまで5分くらいかかっていましたね。降りるのがその次のバス停でよかったです。
今日から「ガストンとの対話2」を始めました。といってもとりあえずのスタートです。他の企画を思いついたり、あまり評判がよくなかったら中断するつもりで始めました。ガストンと繋がるのに、かなりの量の精神的なエネルギーを必要とします。体力勝負になりますので、あまり無理しないようにと思っています。
さて午後からひと仕事して、コーヒーを飲みながらテレビを見ていました。ある2軒の家が紹介されていたのですが、物の多さに呆然……。
どちらの家も比較的整理されている家です。決してゴミ屋敷のように雑然としているのではありません。いわゆるマニアというか、収集家の家なので、趣味の物で溢れているのです。物を集めるという習慣が私には全くありません。だから口があんぐりとなって、言葉が出てきませんでした。
収集家の方を非難したり軽蔑しているのではありませんよ。私には理解できない、というだけです。
自分の家に収まらないほどの物を集めて、それを眺めているのが楽しいのでしょうね。う〜ん、やっぱりわからん。
だって自分がいつ死ぬか分かりませんから、永遠に置いておけるわけではありません。興味の無い家族にとっては、ただのゴミですよね。事実、2軒目の家の場合は、それを収集していた人は亡くなっています。遺族の方がそれらを持て余している状況でした。
もしそれらの物に執着していたら、死ぬ時は心残りでしょうね。価値のある物だったら遺族が売り払うだろうし、そうでなければゴミとして処分されてしまいます。そうなることを納得しつつ、毎日眺めているのでしょうか? やっぱりわからん。
そういう部分に関して、私と妻は価値観が共通しています。できる限り物を少なく、シンプルに暮らしたいと思っています。時計は一つ、カレンダーは一つ、家具と呼べるのはテレビ台、ダイニングテーブル、こたつ、ベッドくらいですね。食器は二人分合わせても両手の指で数えられますから、食器棚もありません。
一つ買ったら、一つ捨てる、それが我が家の原則です。だから同じ種類の物を収集するという発想自体が存在しないのです。
理想は必要最低限の物だけを所有してホテル暮らしをすることです。でも自炊をしたいから、賃貸で世界中を渡り歩くのもいいなぁ。まぁ、人それぞれですから大好きな物を収集しつつ、自分が快適に過ごせたらいいですね。私は極力物を少なく、シンプルに生きていきたいと思っています。
『夢で会える 体外離脱入門』は在庫僅少ですので、お求めの方はハート出版さんや書店に問い合わせてください。Amazonでの注文はこちらです。
『ゼロの物語』3部作は電子書籍のみの販売となりますので、こちらのホームページから販売サイトに行ってくださいね。