今日の言葉 6月16日
『内省は不完全である』
気づきには現在があるだけです。つまり、気づいている時には、現在を支配し、未来を修正する、過去の一連の影響のプロセスが見えるということです。気づきは統合のプロセスであって、分離のプロセスではありません。例えば問いを発するとします。「自分は神の存在を信じているだろうか?」と。そして気づきがあるならば、まさにこの問いのプロセスにおいて、自分にこの問いを発させているのは何なのかを観察することができます。気づきがあれば、どんな力が働いた、あるいは働いて、自分にそのような問いを発させるよう促しているのかを理解することができるのです。
気づきがあるならば、神という概念がどのように恐怖を通じて発生してきたかが分かります。あるいは最初に真実在や神についての経験をした人がいて、それを誰かに伝えたところ、その誰かが貪欲な根性からそれを我がものにし、一連の模倣のプロセスを促進した、ということが分かるかもしれません。
気づきは完全なるプロセスです。しかし内省は不完全です。内省の結果もたらされるものは不健全で、苦痛に満ちています。それに対して、気づきによってもたらされるものは、熱意と喜びであるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜