今日のウィルバーくん 6.14
ウィルバーの哲学者としての側面に焦点を当ててみます。彼は実践的な哲学者です。思考をこねくり回してわかったような気になるより、自分で動いて経験することを訴えています。ダンスを例えに使って述べています。ダンスに関する本を読むのはいい。しかしダンスに関して統合的なアプローチを求めるのなら、実際にダンスをしなさい、と。
もっとも避けるべきは、ただ本を読むことである、と言っています。自分の家でバミューダのガイドブックを読んでいても、バミューダに行ったことにはならない。どうか実際にバミューダにお出かけいただきたい、と記しています。彼の言葉を見てみまましょう。
〜以下抜粋。
言い換えれば、わたしの本はみな嘘である。それは地図であって現地ではなく、リアリティの陰であってリアリティそのものではない。死んだページに、その腹を引きずる灰色のシンボル、色あせた栄光とくぐもった声にみたされた窒息しそうな記号、最終的には何も意味しない、あるいは無を意味するだけのものである。そして、この「無」、「神秘」、「空」だけが認識されるべきものである。それは知られるものではなく感じ取られるもの、思考されるべきものではなく呼吸されるもの、対象としてではなく「大気」(アトモスフィア)として、教訓ではなく生きたものとして認識されるものである。
どうかこのガイド・ブックを、実際にダンスをする時の覚え書きとしていただきたい。あなたの「自己」を探求する時の案内に使っていただきたい。その「自己」は、今、このページを見ている。コスモスを一瞥で見渡している。統合的な地図のなかでその栄光を表現し、見てきた光景を情熱とともに歌い、深夜の静けさのなかでひそかに優しい声でささやく。ここへ来て、あなたがバミューダへの旅で見たものを、一緒に語りましょうと。それはあなた自身の躍動する沈黙と輝くような「ハート」であり、それだけが、わたしたちが一緒に発見できるものなのである。
〜以上抜粋。ケン・ウィルバー著『ケン・ウィルバー───情熱としての思考』より。
私の大好きな文章です。
『わたしの本はみな嘘である」
この言葉にしびれました。真偽は自分で確かめなさい、と私の背中を押す言葉として心に響きます。
前回でも書きましたが、人間は依存したくなる生き物です。だから「私の言うことを信じなさい」という言葉に弱い。そのほうが安心で、自分で責任を取る必要がありません。ダメだと思えば、新しいメンターを探せばいいだけのことです。だから人は盲信したいし、そうさせようとする人が大勢います。
それなのに、自分の本を嘘だというウィルバーの言葉は新鮮でした。そしてそこに光るものを感じました。自分の著作を地図だという彼の言葉を忘れないよう、私は文章を書いています。
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