命の価値を判定できるものさし
九州北部を襲った大雨の被害の恐ろしさに愕然としている。過去にも同様の映像を見ることはあったけれど、何度目の当たりにしても慣れることはない。
まだ孤立している地域があるし、行方不明の方もいる。そして亡くなった方も。
自然災害というものは、怒りの持って行き場がない。人間が起こした犯罪なら悪役を仕立てあげることも可能だけれど、自然に対しては何もできない。ただ天を仰いで、悲嘆にくれるしかない。本当に残酷だ。
ニュースで誰かが亡くなったという事実を見聞きした場合、その人と個人的な知り合いでなければ、数え切れない他人を分母にした一人でしかない。
だけど家族や友人たちにとっては、分母も分子も一つしかなく、たった一人のかけがえのない人のはず。そう思うと本当に切なくなる。
亡くなった人との関係性のちがいで、その事実を知った個人が抱く想いに差があるのは仕方ないだろう。だけど本来は、どんな命の価値も同じ。命の価値を判定できるものさしなど、この世にはない。
もし命の価値に差を感じるとしたら、それはその事実を把握する自分に、本来はありえないものさしが存在しているということだろう。自分の家族の命を奪った人間が死刑になったとして、その受刑者の命を自分の家族と同等に見ることができるだろうか?
ボクには無理だ。頭では納得しても、心が異議を唱える。その殺人者を10回殺しても、納得できないだろう。同じひとつの命として見ることのできる自信はない。理不尽な犯罪に対して、自分の心のなかに命の価値を判定する、独自のものさしができているからだ。
理不尽な死といえば、すぐに思いつくのが戦争だろう。戦後生まれのボクたちにとって、75年ほど前に日本人とアメリカ人が銃を持って殺し合っていたなんで信じられない。これはヨーロッパでも同じ。国をあげてアメリカ人とドイツ人が殺し合っていたなんて。
今日観た映画は、まさにそんな命の価値について観客に問いかけた作品だ。
『プライベート・ライアン』(原題:Saving Private Ryan)という1998年のアメリカ映画。数回観ているけれど、何度見ても素晴らしい作品だと思う。
舞台は1944年のヨーロッパ。連合軍であるアメリカが、フランスにおいてノルマンディー上陸作戦を決行する。その中隊を率いていた中隊長のミラー大尉は、上陸作戦の成功後にある任務を受ける。このミラー大尉をトム・ハンクスが演じている。
この戦争で4人兄弟の3人が別の戦場で戦死するという悲劇が起きた。残された末っ子のジェームズ・ライアンが戦死してしまうと、アメリカ軍の幹部としては国民に対して戦争行為を正当化することが難しくなる。そこで何としても、敵地のど真ん中にパラシュートで降下したライアンを救って帰国させろ、という理不尽な命令が出た。
ミラー大尉は命令なので拒むことができない。だけど決して本心では納得していない。部下を死なせるたびに、とてつもない苦悩を抱えてきた経験がある。部下に見られれない場所で、人知れず部下を思って慟哭するような上官だった。
戦死した部下が、10人、あるいは20人の他の兵士の命を救ってくれた。そう信じて自分の心を納得させてきた。そう思うしかこのバカな戦争に耐えられなかったからだ。
ところがたった1人の二等兵を救うために、8人の部下を連れて敵陣の真っ只中に向かわなければいけない。もしかしたら全滅するかも知れない。もちろん同行する部下たちも同じ不満を抱えている。そしてライアンに出会う前の段階で、すでに8人のうち2人を失ってしまった。
ようやく見つけたライアンは、わずかな人数でドイツ軍と戦っていた。ミラー大尉が事情を話しても、自分は戦友を見捨ててこの場所を離れられないと断る。そのライアンをマット・デイモンが演じている。
そこでミラー大尉が決断したのは、共に戦ってライアンの命を守り、無事に連れ帰ることだった。そして圧倒的な数の兵力でドイツ軍が攻めてくる。ミラー大尉とライアンの運命は? というのが映画のクライマックス。
まだ観たことがない人は、ぜひ観て欲しい。兵士たちのやり取りを通じて、命の価値について常に考えさせられる。そして戦争の理不尽で悲惨な現状が、命の価値を通じて見せつけられることになる。かなりエグい映像だけれど、さすがスピルバーグ監督という作品。
冒頭の上陸作戦のシーンだけで、圧倒されてしまう。まさに文字通りに血の海になった海岸線で、ミラー大尉が海水に浸かったヘルメットをかぶるシーンがある。海の水とともに、彼の顔を戦友の血液が流れる。ボクはその瞬間、自分の口のなかで塩水と血の味が混ざり合ったような気がした。
スピルバーグ監督は、トム・ハンクスたちを実際の軍隊につけて訓練させたらしい。ところがマット・デイモンはその厳しい訓練に参加させず、遅れてから撮影に参加させた。まだ若い俳優が、訓練の苦労も知らずに撮影に参加するとどうなるか?
トム・ハンクスたちの顔に、マット・デイモンに対する敵意が自然に出てきたとのこと。まさに映画と同じ展開だよね。マジですごい監督だと思う。
久しぶりに観たけれど、ちっとも色あせていない。戦争という理不尽な世界を、見事に描いた作品だと思う。
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