過失と故意の境界線
小説を書いていると疑問に思うことが数えきれないほど出てくる。そんなとき、少し前なら図書館に行って資料をあさるしかなかった。あるいは教えてもらえる人に取材するしかない。特定の場所の感覚をつかむにも、現地でその空気を実感するしかなかっただろう。
でもいまはネットがあることで、おおよその知識を得ることができる。もちろん眉唾な情報も含まれているので、一次情報なのかというチェックは欠かせない。そうした手間は必要だけれど、付け焼き刃的な知識は手に入る。Googleを使えば知りたい街の雰囲気を画像で確認できる。便利になったよね。
だけどそれだけでは心もとない。だから時間を見つけて体系的な知識を補充することは絶対に必要。昨日読了した本も、ボクの付け焼き刃的知識を補完するのが目的。
『文系法医学者のトンデモ事件簿』南部さおり 著という本。
著者は元々は文系の法学部で学び、医学の道へと進んだ医学博士。現在は大学で法医学を講義されている。そんな経歴を持つ著者が、実際の事件を紹介しながら犯罪に対してどのように法律が適用されるかを解説した本。実例がトンデモ事件なので、とても面白く読みつつ勉強することができた。
この本を読んで感じたのは、実際の事件と法医学の厚い壁。医学的な見地で医師が司法解剖をしても、その解釈によって裁判では同じような事例でちがう判決になることがある。
傷害と殺人、そして過失と故意の境界線がどれほど微妙なものなのか、この本を通じて実感することができた。小説を書くうえでいい勉強になった。
もっとも興味を持った内容は、「たまたまそこにいた」という事件。これまで犯罪に縁がない人でも、「たまたまそこにいた」ことで巻き込まれる可能性があることにビビった。
わかりやすい例で言えば、ビルから飛び降り自殺した人に巻き込まれた場合。実際にそれで亡くなっている人もいる。だけどこの本で紹介されている事例は、タイトルどおりにトンデモ事件だった。
ある夫婦が派手なケンカをした。妻の態度に怒り狂った夫は、隠していた日本刀を持ち出して「殺してやる」と妻を追いかけた。その事態に驚いた息子が、夫婦喧嘩を止めようとして和室にいる父親が部屋から出ないようにふすまを抑えた。
ふすまが開かない父親はまさか息子がそこにいるとは思わない。それで無理やり開けようとして日本刀をふすまに突き刺した。その結果、息子は日本刀に刺されて死んでしまったという事件。フィクションじゃなく事実だから恐ろしい。
あるいは二人の客がバーのカウンターでケンカを始めた。ある男性がケンカ相手の男性を突き飛ばすと、その勢いでとなりに座っていた男性までカウンターから転げ落ちた。ところがその男性は打ちどころが悪くて、ケンカの当事者でないのに死亡してしまう。果たしてこの場合、最初に突き飛ばした男性は殺人の罪に問われるのか?
というような事例がいくつも紹介されている。法律というのは本当に難しいね。この本を読んだことで、この先に報道される新しい事件について、いままでとはちがう視点で考えることができるような気がする。
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