自粛警察の自粛警察が出てきそう
数日前に恐ろしいニュースを見た。横浜の公園の砂場に、カッターの刃が捨てられていたというもの。現場ではなんと20枚以上のカッター刃が見つかっている。公園で遊んでいる子供たちをターゲットにしたものだろう。かなり陰湿で悪質な行動。ケガ人が出なかったのが幸いだよね。
ここのところ自粛警察という言葉をよく目にする。緊急事態宣言が発出されたことで、自宅待機をしている人が増えた。それゆえ我慢を強いられている状況にストレスがたまり、他人の行動を批判する人が増えている。
「公園でサッカー」「店が営業」 住民イライラ、警察通報相次ぐ
この産経新聞の記事によると、日本全国でイライラを制御できない人が増えているらしい。公園でサッカーをしているだけで、警察に通報された例もある。通報を受けた警察としては動かざるを得ないけれど、何もそこまで、と違和感を覚えたとのこと。
営業している飲食店等に対して、強迫的な貼り紙をするという事例も多発している。なんと東京都だけで、そうした通報が1000件を超えているそう。もはやこれは異常と言っていいレベルだと思う。
たしかに我が家の近所の公園でも、遊んでいる子供の声を耳にする。子供たちだって学校へ行けずにストレスがたまっているのだろう。あまりに騒いでいると、「あの子供の親たちはどうしているんだろう?」と妻と話すことはある。「家にいておけよ」と感じることもある。
でもそれはせいぜい家庭内の会話。直接叱りつけようとか、ましてや警察に通報しようなんて考えたこともない。自宅待機を要請する神戸市の広報社が巡回するだけで消えてしまうから、子供たちも状況を自覚しているのだろうと思う。
3密を避けて、散歩や運動をすることは奨励されている。それなのに散歩する人にさえ敵意を向ける人がいる。自分がここまで我慢しているんだからと思うだけで、感染の危険のない散歩でさえ腹が立つのだろう。だから自粛警察というバカな連中が続出しているんだと思う。
そしてそんな自粛警察に対して反感を持った人が、その人たちを非難している。つまり自粛警察を監視する自粛警察が出てきそうな気配。こうなってきたらエンドレスだからね。どこかで止めないと、他人を批判するという連鎖反応を起こしてしまうだけ。
先日、このブログでアドラー心理学を解説した『嫌われる勇気』という本を紹介した。そのなかでアドラー心理学の根幹をなすものがある。
それは『課題の切り分け』というもの。それができないと人間は決して幸福になれない、とアドラーは述べている。
わかりやすい例で言えば子供の勉強。勉強しないと大変なことになる、と親は子供を脅して勉強を強要することが多い。だけど勉強に関する面で言えば、それはあくまでも子供の課題。親の課題ではない。
その切り分けができないと、子供に対して過干渉をすることになり、結果としてどちらも不幸になってしまう。親として子供の援助をしてやることは大切だけれど、勉強をするのはあくまでも子供の課題。その境界線を自覚することが大切だということ。
まさに今回の自粛問題にも当てはまる。『課題の切り分け』のできない人たちが、他人の行動に干渉してしまう。そしてどちらも嫌な気分になっている。とにかく自分のできることに最善を尽くすしかない。他人への不満は、家庭内の会話だけにしておいてくれ〜www
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