運動部は人格形成に役立たない
現在の高齢者たちにはスポーツ信仰のようなものがあって、人間の人格形成にスポーツが役立つと信じている人が多い。それゆえボクが中学生のころは、クラブ活動は必須という雰囲気だったし、できることなら運動部という無言の圧力があった。
ボクも中学校に入学して迷わず運動部を選んだ。でも最初は剣道部を選択するつもりだった。小学校4年生のころから剣道を習っていたから。だけどなんの気の迷いか水泳部を選んだ。これまた小学校3年生くらいのとき、京都ではよく知られている踏水会というスイミングスクールに通っていたことがあるから。
水泳部が決め手になったのは、暑い夏でも水に浸かれるということ。防具をつけている剣道の夏は地獄。まだ当時の水泳部は同好会で、ボクたちが入学してから水泳部として認められた。この成立したばかりの水泳部が、2年後に公立中学としては驚くような成果をあげた。新聞でも取り上げられたほど。
ボクは3年生でキャプテンを務めたし、個人的にもいくつか賞をいただいた。京都市内ではある程度の頂点を極めたけれど、とても人格形成に役立ったとは思えない。運動部は勝つことが目的。個人のスポーツである水泳でも、出場選手の得点が集計されて学校単位の成績になる。そしてリレーという団体種目もある。
それゆえ活動中は常にプレッシャーがあったし、泳ぐことが好きだったのに楽しめなくなっていた。常にストレスにされされているので、人格形成どころの話じゃない。むしろストレスから逃れた開放感のせいか、3年生の夏が過ぎたとたんに不良中学生の道をまっしぐらだった。
タバコや酒をやっている中学校3年生のボク。どれだけ部活動で成績をあげても、見本のような生徒ではなかった。スポーツが人格形成に役立つとは限らない。そのことは世界的に共通らしい。
「運動部の部活は人格形成に必ず役立つ」はウソ 「運動選手ほど規則を軽視する」衝撃の調査も
リンク先の記事はユニークな視点で運動部について考察されている。詳細は記事を読んでもらうとして、アメリカで興味深い調査結果が出ている。運動選手として実績をあげている人ほど、規則を軽視するという傾向が強かったらしい。
スポーツ選手としてあるレベルを超え、トップクラスで戦うまでにスキルを高めても、人格者として呼べる人は思っているより少ないという結果。むしろバレずにルールを破ることに肯定的な人が多かったそう。
サッカーなんかがいい例。億単位の年棒を稼ぐ一流のサッカー選手でさえ、審判が見ていないところでのファウルは普通のことらしい。そもそもスポーツというのは勝ち負けを決めるもの。趣味の範囲を超えて本気で競うようになれば、『勝つ』ことが何よりも優先される。だからいまだにドーピング検査が欠かせない。
ヨーロッパでメインスポーツとされるサッカー。このスポーツの起源は、国同士の戦争を避けるために考案されたものだと聞いたことがある。敵対する相手を征服したい。その人間的な本能を、サッカー競技を通じて昇華させようということで始まったそう。
だからと言ってスポーツが人格形成に貢献しないというわけじゃない。スポーツを通じて、人間としての成長を経験する人は大勢いると思う。問題なのはスポーツを絶対視するということ。
運動部でも文化部でも、あるいはどこにも所属しない帰宅部であっても、人格形成に寄与するのは日々の経験をどう捉えていくかということ。たとえば本を読んだり映画を観ても、その後の人生に影響を与える経験をすることができる。要するに自分次第だということだよね。
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