今日の言葉 6月20日
『受動的な気づき』
気づきには何かになるということがありません。達するべき目的などないのです。選択も非難も交えることのない、沈黙裡の観察があるだけで、そこから理解が生じます。このプロセスにおいて思考と感情が花開くと——それは獲得したり受け入れたりしない時にのみ起こり得ることですが——、広く様々なものに対する気づきが起こり、諸々の隠れた層と、その意義が明らかになります。そしてこの気づきによって、あの想像もつかなければ、定式的に言い表すこともできない創造的な空(くう)が明らかにされるのです。
この広く様々なものに対する気づきと創造的な空(くう)は、一連の総合的な過程であり、相異なる段階ではありません。非難したり、正当化したりせずに、黙って一つの問題を観察すると、受動的な気づきが起こります。そしてこの受動的な気づきの中で、問題は理解され、消滅するのです。
気づきには高められた感受性があり、その中に最もすぐれた否定的な思考形態が存在します。精神が何かを定式的に言い表したり、作り出したりしている時、そこには何の創造もあり得ません。精神が静まり返って空っぽであり、問題を生み出していない時にのみ、そのような注意を怠らない受動生の中に創造が生じるのです。
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜