今日の言葉 6月22日
『暴力』
私たちが暴力と呼んでいるものに対して、全き注意を向けると、何が起こるでしょうか? 信条や条件づけなどによって、人類をバラバラにするものだけが暴力ではありません。社会のパターンを用いて、身の安全や個人の利益に対する保証を求める時に生じるのも、また暴力です。全き注意を払って、そのような暴力を見つめることがあなたにはできますか?
こういったことを深く探ったことが、あなたにあるかどうか、私には分かりませんが、おそらく私たちのほどんどは何に対しても、全き注意など払ったことはないでしょう。しかしもしそうしたら、何か起こるでしょうか? 皆さん、注意とは何なのでしょう?
全き注意を払っている時、そこには間違いなく気遣いがあります。しかし愛や愛情がなければ、気遣うことはできませんね。では愛ある注意を払う時、暴力は存在するのでしょうか?
自分は正式に暴力を糾弾し、正当化し、そこから逃れ、暴力は当然のことだ、と言ってきた。——こういったことには全て注意が欠けています。しかし自分が暴力と呼んでいるものに、気遣いや愛情、愛のある注意を払うと、暴力の存在する場所は何処にあるのでしょうか?
〜クリシュナムルティ著『四季の瞑想—クリシュナムルティの一日一話』より〜